なにの怒りか
ずっと、ずっと、心のなかで怒りが燻っていた。
分かったようで、分からない。
納得したようで、全く納得していなかった。
得体のしれない怒り。
時に、悲しみとなって。孤独感となって。
相談しようにも相談できない。
表現しようとも表現できない。
物事の多面性から、分かってもらえないという諦め。正解、不正解のない事実。
伝えなくてもいい、自分の中に閉まっておけばいい、と蓋をした。
でも、燻る。熱が籠もる。
鉛のように重く、硬く、沈んでいく。
どうしようもなくなったとき、心のなかで泣きながら自分に問いかけた。
「なにに怒っているのか」と。
少しづつ、少しづつ、動いていく。
変わっていく何かを辿って、辿っていく。
辿り着いたのは、『課せられる制限』
ただそれだけだった。
なにがどう変わったわけではない。
ただ怒りの正体が分かっただけ。ただそれだけ。
でも、それだけで、心は穏やかになった。
今回、なぜ見つけられなかったか?見つけるまでに時間がかかったのか?
たぶん、当たり前、それが当たり前だと思っていたから。
いわゆる、それが当たり前だという『常識』のバイアスが掛かっていたからだ。
当たり前が当たり前ではなく、怒り続けていた私よ、さあ、どうする?
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