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私は結局結婚したいのか?

物心ついたときから私をなんだかんだ振り回してきた言葉。

「結婚」

小学生くらいの頃なんかは「結婚する」というのが人生の中にあって当たり前だと思っていた。だから20代で結婚できたら嬉しい!とかそんなことを言っていた気がする。

今私は33歳の年。

現在遠距離中の2年交際しているパートナーがいる。

結婚したいしたくない関わらず、「これは結婚を前提の付き合いなのか?」、なんて一応確認し合ったこともあるし、先日なんかは結婚の挨拶という意味ではなく、お互い存在は知っていたので私の祖父に線香を上げてもらってもいい?という口実で両親に会ってもらった。(説明しておくと私は結婚したいという願望があるわけではなく、自分自身が今年のやりたいコトに「パートナーと両親を会わせる」と掲げていたこと、あと2年付き合ってるけどただただ「現状維持」のような関係性になりたくなくて行動した結果だった。めっちゃ言い訳っぽい。笑)

パートナーと両親を会わせた結果、私ビジョンではいい雰囲気ではあったと思う。

でもそこから何か進んだかというと別に何も進んでいない。
そしてそこが進んでほしいと期待していたわけでもないから私も特に落ち込むこともなかった。

ただ、ここで私の一番の強みと言われる(ストレングスファインダーの診断結果によるもの)「最上思考」の私が問いかけてくる。

Q.やれるところまでやってみたけど、このままの関係を維持する、でいいの?

もう一人の私の問いかけにちょっと困っているのだ。


パートナーとの関係に不満があるわけではない。
お互いの趣味を共有し合い、それなりに思い出も一緒に作ってきた。
一緒にフェスやLiveに行き、お互いそれぞれの仕事に没頭し、一緒にいる日はアニメのキングダムを観ながらいつの間にか寝てる…それはそそれでささやかな幸せだなとも思う。でも、ずっとそれでいいのか?と現状維持をしたくない私の思いが強くなる。

楽しいのは楽しい。私がしたいことにも嫌だと言わずついてきてくれ、なんなら楽しかった!と言ってくれるパートナー。

じゃあ今度は別の角度から問いかけてみよう。
Q.今「結婚しよう」と言われたら私はどんな反応をするのか?
(セルフコーチングのように自分に問いかけてみる)

A.嬉しい。だけど結婚するには色々考えないといけない、と思っている自分がいるのは事実。

今私たちは交通機関を使わないと会えない距離にいる。
私は別居婚推奨派だけど、それだと今となんら関係が変わったように思えない。結婚する必要があるのか?という別の問が出てきてしまう。

Q.では私は子どもは欲しいのか?

A.子どもは欲しくないわけではないが別に絶対に欲しいという気持ちでもない。

変な話、私には「一人になったらどう人生を楽しむか?」という準備がいつでもできている。これは別に悪いことだとは思っていなくて。この思考があるからこそ、自分時間を大事にできたり、パートナーと無理をしてまでも一緒にいようとは思わない。その結果、一緒にいるときは共有し合える時間を大事にしたいと思えている。


いろいろと考えた結果、結婚で一番の懸念点は結婚には「我慢」がつきものという私の思考。

有り得ない、と言われるかもしれないけど、私は「我慢のない人生」を実現したいと本気で思っている。私の中で我慢というのはその時我慢できても「我慢している」と認識している以上は消化されずいつか爆発すると経験から理解しているから。

そしてこれを考えることを機に以前コーチングでこの「我慢」についてのブロックが私の中にあると気づかせてもらえた経験談のnoteがあることを思い出した。

読み直すとこのnoteにも書かれている通り、私の中の「生い立ちブロック」はそう簡単には崩れてくれないように思う。このコーチング後に自分の我慢のない生き方を確立したはずだったが、パートナーと2年一緒にいる中でまたこのブロックにぶち当たるとは。

ただえげつないほどにポジティブな私が考えるのは、前例はあまり見たことがないけど自分自身がもし我慢のないパートナーシップを築くことができたとするなら…子どもがいたとしても自分が我慢なく生きることができたのなら…

それがわかれば私はきっと「結婚」について前向きな姿勢を示すだろう。


でも未来はどうやったってわからない。

今はまだ前向きな姿勢ではないし、別になんとかして結婚しよう!とも思えていない。別に思わなくても人生楽しいはずだと私は信じている。

じゃあなぜ私はこんなにも「結婚」という言葉に悩まされるのか?
結婚しなくてもいいのであれば考えなくていいはず。


私はそこに答えがあると、薄々気づいているのかもしれない。

まだまだこの二文字に私は向き合うことになりそうだ。


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