penba

地球のでこぼこをあちこち歩きながら、あちこちに書いた散文、随想などを投稿する 渡部秀樹…

penba

地球のでこぼこをあちこち歩きながら、あちこちに書いた散文、随想などを投稿する 渡部秀樹の『山方見聞録』

最近の記事

「西藏系出雲族の伝説」 あらすじ

   これは私の偶然の縁よる、西藏(チベット)と出雲に関わる物語である。チベットと出雲での長年の個々のフィールドワークは、それぞれ別々の記録のはずであった。ところがそれらは不思議なことに繋がりはじめ、意外な展開を見せた。    チベットの登山や探査を行っている中で、何となくチベット民族に明治の出雲人の面影を感じていた私は、中国による支配、近年の大開発がチベット奥地の伝統的な暮らしの中にも徐々に進んで行く様子を見てきた。外部と閉ざされ、チベット仏教に根ざし土地の神山を崇めなが

    • 「彷徨ったチベット・ミャンマー国境地域」

       「入院することになったから」とTさんから電話があったのは2021年6月下旬だった。コロナ禍の前までは毎月の日本山岳会役員会に出席されており、4月の例会でも顔を合わせて酒を飲んだ。半年程前から体が少し不自由になられた様子に気付きお聞きしたところ、持病が少し悪くなったとの話であった。入院の理由も持病の治療ということであったが、「蔵書の整理をしたい。寄贈先なども相談したいので一度見に来てくれないか」とおっしゃっており、退院されたらまた連絡しお伺いしましょうと伝えていた。  所属さ

      • 昆明からカンリガルポへ(茶馬古道・滇藏公路)【カンリガルポ山群への道④】

        昆明からカンリガルポへ(茶馬古道・滇藏公路)  渡部秀樹    雲南省の迪慶(デチェン)藏族自治州を経て東チベット・カンリガルポ山群へ至る道はかつての交易路「茶馬古道」を辿る旅である。6世紀末から7世紀初めに形づくられた茶馬古道は、滇(雲南)と藏(チベット)をつなぐ、茶葉、塩、馬、薬材、毛皮などの交易のルートとなっていった。唐・宋代に始まり明・清代に栄え、第二次大戦の中後期に最盛期を迎えた。一般に言われている茶馬古道の主要ルートは、雲南の西双版納、普洱、保山、大理、麗江を通り

        • 成都からカンリガルポへ(川蔵公路東半部・四川ルート)【カンリガルポ山群への道③】

          成都からカンリガルポへ(川蔵公路東半部・四川ルート) 渡部秀樹  成都からカンリガルポ山群へ至る四川ルートはいくつかの選択肢がある。それは大きくふたつに分けられる川藏公路の北路、南路に加えて、それらを結ぶいくつかのバイパスがあり、さらに近年の道路開発により、古くから川蔵公路の要所とされてきた康定を経由しない四姑娘山麓を経由するルートなども可能となり、その組み合わせによって多くのルートが考えられるからだ。  ここでは最短ルートとしての川藏公路南路について解説する。成都から川藏

        「西藏系出雲族の伝説」 あらすじ

        • 「彷徨ったチベット・ミャンマー国境地域」

        • 昆明からカンリガルポへ(茶馬古道・滇藏公路)【カンリガルポ山群への道④】

        • 成都からカンリガルポへ(川蔵公路東半部・四川ルート)【カンリガルポ山群への道③】

          ラサからカンリガルポへ(川藏公路西半部)【カンリガルポ山群への道②】

          ラサからカンリガルポへ(川藏公路西半部) 渡部秀樹 ※2007年当時に書いたガイドです。すでに西部大開発等で変貌が激しく、高速道路が伸びた今は、旧道を行くことはかえって困難になっています。もしまた旧道で悠長に旅をすることが可能であれば、参考にはなるでしょう。  ラサからカンリガルポ山群の西端のトンメイ(通麦)までは川蔵公路を約550km、東端のデマ・ラ(峠、徳母拉)までは約800kmの道のりである。この間を満足できるような解説書はあまり見られない。しかし、見るべきものは多

          ラサからカンリガルポへ(川藏公路西半部)【カンリガルポ山群への道②】

          カンリガルポ山群への道【①カンリガルポ山群周辺】(波密~察隅)

          ※2007年当時に書いたガイドです。すでに西部大開発等で変貌が激しく、高速道路が伸びた今は、旧道を行くことはかえって困難になっています。もしまた旧道で悠長に旅をすることが可能であれば、参考にはなるでしょう。 【目次】 カンリガルポ山群への道       渡部秀樹 カンリガルポ山群周辺(波密~察隅)  カンリガルポ山群は東南チベットにあり、ヒマラヤ山脈の東端とされるナムチャバルワ(7762m)のさらに東から、南東に向けて伸びる全長約280kmの山脈である。

          カンリガルポ山群への道【①カンリガルポ山群周辺】(波密~察隅)

          目次 崗日嘎布山群への道

          目次 第Ⅷ章 崗日嘎布山群への道 渡部秀樹 1.崗日嘎布山群周辺 (1)波密県 ①波密県入口の崗日嘎布最西端 ②通麦(タンメ、トンマイ)の河川流 ③縮瓦(シュワ、ショーワ)かつてのポ(ポバ)地方の都 ④古郷(クーシャン)のパカ・ゴンパ ⑤嘎朗(ガラン)、丹卡弄巴(タンカ・ロンパ)とカンジャナリパ峰 ⑥波密(ポミ、ポメ) ⑦ゴンダ村と波密(ポミ)三山 ⑧達興(大興、ダシン)と金珠弄巴(ジンルー・ロンパ) ⑨通木(トンムー)~ルンヤ村のチョルテン ⑩西限の6000m峰のあ

          目次 崗日嘎布山群への道

          ミニヤコンカ山麓のチベット娘・ヤンツォと一枚の写真

           その谷を初めて訪れたのは2008年秋、四川大地震調査の一環の偶然であった。四川省カンゼ・チベット族自治州に位置する大雪山脈の最高峰であり、横断山脈の最高峰でもあるミニヤコンカ(7,556ⅿ)を展望できる場所を求めて、ミニヤコンカの西のユーロンシの谷に入って行った。その谷のサムジュンという村では、たまたまルワさんのお宅に滞在させていただいた。谷の外との交流の少ないこのような村では訪問者を警戒しつつも歓迎し、珍しいので好奇の目で見られる。私はチベットでは毎度、名を「日本のペ

          ミニヤコンカ山麓のチベット娘・ヤンツォと一枚の写真

          「カナリア諸島にて」 スペイン最高峰・テイデ山登山“薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて”

           スペインの最高峰の名を知る人は少ないだろう。ヨーロッパ大陸とイベリア半島を分けるピレネー山脈にあると想像する人が多いのではないだろうか。ピレネーの最高峰はアネト山(3,404m)で氷河も残る岩稜の山である。しかし、この山はスペイン最高峰ではない。これより地中海沿岸シエラネバダ山脈にあるムラセン山(3,482m)の方が僅かに高く、イベリア半島の最高峰である。しかしこれもイベリア半島の最高峰でありながらスペイン最高峰でないのである。  スペイン最高峰はテイデ山(Pico del

          「カナリア諸島にて」 スペイン最高峰・テイデ山登山“薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて”

          ブータンを横断して観たもの

           旅の目的のひとつは、その国、その地域にしかないものに焦点を当てることにある。ブータンは世界で唯一、チベット仏教を国教とする独立国である。他国家、他民族から強制的に歪められることなく、自らの意思で連綿たる継承のチベット仏教文化があるはずだ。そういう意味ではネパール・ヒマラヤ、ラダック、ザンスカール、シッキム、アルナーチャル・プラデーシュなど地域的なチベット文化とも状況が違う。さらに中国に侵略された本家チベット本土とは現在は対極にある。日本人がブータンに懐かしさや、国民総幸福量

          ブータンを横断して観たもの

          モンユル・コリドール紀行、北東インドのチベット圏・アルナーチャル・プラデーシュのタワンへ

           「モンユル」とはモンの国(モン族の土地)という意味で、チベット南部のツォナ(錯那)とアッサム平原を結ぶアルナーチャル・プラデーシュの西カメン県・タワン県はモンユル・コリドール (回廊、Monyul Corridor)と呼ばれる。私はかつてカンリガルポ山群調査の折、波密で南の禁断のメト(墨脱)から来たというモンパ族の女性に遭遇したことがある。現在の中国領東チベットでは貴重な出会いだったので、それ以来モンパ族に興味を持っていた。  昨年の日本山岳会福岡支部の記念講演で辻和毅さ

          モンユル・コリドール紀行、北東インドのチベット圏・アルナーチャル・プラデーシュのタワンへ

          ミャンマー・ヒマラヤとインド・チベット国境偵察

            2011年に年が明けてすぐ、辻和毅さんから「ミャンマー最北部がやや安定しプタオに行けるようになったらしい。チベット国境視察に行かないか」と話があった。プタオと言えばチベット国境に聳えるミャンマー最高峰のカカポラジへの入口ではないか。そして、東チベット、カンリガルポ山群から続く山脈が国境を越えて高度を下げるあたりである。  ミャンマーにはビルマの時代1985年に初めて訪問した。まだネ・ウィン将軍が大統領であった時代で外国人旅行が厳しく制限されていた。しかし、人々の質素ながら

          ミャンマー・ヒマラヤとインド・チベット国境偵察

          サハラのオアシス日記:月光仮面部隊が星と嵐のアガハル山地を行く「サハラのアルジェリア最高峰・タハト山登山 2009」

           「サハラ砂漠に3000mを超えるの山があるらしい」とO隊長が言い出したのは2009年の正月前後だったと思う。2006年ウガンダのルウェンゾリ山の時と同様にテレビで偶然に見かけたのだという。これは「調べろ」ということである。それで、まずサハラ砂漠最高峰を調べると、それはチャド北部のリビア国境付近に広がるティベスティ高原のエミクーシ山 (3415m)であった。チャドという国を外務省渡航情報で見ると、全土に「退避を勧告します、渡航は延期してください」が発出されていた。反政府勢力連

          サハラのオアシス日記:月光仮面部隊が星と嵐のアガハル山地を行く「サハラのアルジェリア最高峰・タハト山登山 2009」

          ナイルの源流・ルウェンゾリ登山記2006

           「次はウガンダのルウェンゾリ山が良かろう」とO隊長が言い出したのは2005年のアリューシャン遠征中であった。遠征中に次の候補地の話になることは今までも良くあったことだが、それにしても「ウガンダ」は唐突な感があった。なんでも、世界遺産のテレビ番組を見たO夫人が「ここならあなたたちでも登れそうね」と口を滑らせたことを、聞き逃さなかった旦那の地獄耳がきっかけらしい。そういえば1996年のアコンカグア遠征を最後に、山頂に到達するということから遠のいていることは確かだ。ナンガパルバッ

          ナイルの源流・ルウェンゾリ登山記2006

          チベットの大黒様

           チベットの憤怒尊「ゴンポ」が「大黒様」のことであると知ったとき、その驚きとともに、かつて山陰、出雲地方を偏見と自嘲を持って「日本のチベット」などと称されていたことを思い出した。日本では優しい表情の福の神「大黒様」が、チベットでは恐ろしい怒りの形相を呈していることに、一見、違和感を覚えるのであるが、出雲族の私とすれば、この異教の中に共通の匂いを嗅ぎ取れるような思いがしたのである。「大黒様」である出雲の「大国主神」とチベットの「大黒天(ゴンポ)」との境遇に、何か共通の信仰上の秘

          チベットの大黒様

          カムチャッカ・クリュチェフスカヤ遠征2003の記録

           クリュチェフスカヤ火山は標高4750m、カムチャッカ半島最高峰でありユーラシア大陸最大の活火山である。日本山岳会福岡支部では1980年代に福岡登高会メンバーを中心にクリュチェフスカヤ遠征の計画があったが、当時の国際情勢や登山予算の関係で実現化できなかった。福岡登高会では2002年にグリーンランド遠征を終えた時点で2003年のカムチャッカ遠征が決定された。そして7月18日から8月1日までカムチャッカ最高峰クリュチェフスカヤ登山、フィッシング及び周辺山域の調査を行った。

          カムチャッカ・クリュチェフスカヤ遠征2003の記録