【母校の閉校】
今月末に母校である高校が閉校する。42年の歴史に幕を下ろす。
閉校の理由は、生徒数の減少ではない。もちろん、全体的な人口減少の中で生徒数が減少していることは事実である。しかし、今でも十分な生徒を確保することができるだけの基盤はあると思う。それでも、閉校する。はっきりした理由は示されていない。
ある記事によると、県教育委員会内派閥の駆け引きであるという。校舎の耐震補強をここ数年行っており、国に実施率を報告しなければならなかったらしい。そこで、教育委員会は実施しやすいところから行い、実施率を上げ、報告書の上では問題のない耐震対策を行ってきていた。しかし、県内公立高校で一番優秀で歴史のある高校(以下A高校)の校舎の耐震補強工事を先延ばしを続けた。その後、それほど大きな地震でなくても倒壊の恐れがあり、早急に工事をしなければならないことが発覚した。結果的に、工事をするよりも建て直しをする方が安くなることがわかったが、建て直し工事をする予算を確保しておらず、最終的に、我が母校を閉校にし、その跡地をそのままA高校が引き継ぐことになった。
その記事によると、教育委員会の担当者は、A高校のライバル校出身で、A高校の耐震補強工事を何らかの理由をつけて先送りしていたらしい。要するに、県行政内部の覇権争い、政治的な争いがあったと思われる。政治力のない我が校はその煽りを受けたのだと思う。
高校が立地している地域は、1960年代後半から開発された住宅が多く、就労先が県外である家族が多く住む地域である。県内の他の地域と比較すると、”地に根差していない”面があるかもしれない。言うなれば、”新しい県民の新しいまちに住む新しい人たち”の地域から通う学生が多い学校だった。卒業すると地元に残るよりも県外の大学へ進学し、そのまま県外で就職する割合が高い。そうすると地元の中でのパワーバランスにおいてはほとんど力のない勢力だろう。40数年の歴史しかないので、最初の卒業生もまだ60歳になっていない。旧来のパワーバランスがいまだ力を持つ地元において、何もかも新しく、旧来の地域への根付き方ではない母校の文脈では生き残っていくことは難しかった。
我が校は開校当初から穏やかな校風で、長く人気があり志願者が多い高校だった。しかし、この春42年の歴史に幕を下ろす。まさか自分が生きている間に母校が閉校になるなんて思いもしなかった。全てのモノが残されるわけではなく、消えていくモノもこれからはもっと増えていくだろう。それでも、消えていくモノへの敬意を持って最後は見届けたいと自分は思う。