内なる才能を育てるためには?

前回は、HSP(繊細さん)について書きました。これまで気付き過ぎることで傷付いたりしていたことに、何らかの答えというか、安堵感を得たことは間違いはないと思います。次のステップとして、「繊細さん」であるという「気付く」ことへの才能をこれからどう育てていくか、ということを考えていきたいと思っています。

そこで、この1週間ほど目撃した「非繊細さん」の行動で感じたことを書いてみたいと思います。

1.自転車のマナー

近所に幼稚園があるのですが、送り迎えに自転車・アシスト自転車で来られる親御さんたちを多く見かけます。(親御さんはママさんがほとんどですが…)彼女たちの多くは「歩行者と同じ」と思っているのか、疑いもなく右側を走っています。また、歩いている時と同じく、並列走行をしながらおしゃべりをして走り去っていきます。

夜間、塾帰りの中学生・高校生数人が一団となって歩道を走り抜けます。ライトを点灯させず、母娘で並列で喋りながら走行しています。

テイクアウト宅配の人たちが高速で歩道を駆け抜けていきます。

2.自動車の右折

近所の道路は狭くはないですが一方通行が多くあります。そこを走る自動車が右折をするとき、インコーナーを”攻める”ように曲が理ます。左を走る自転車や端を歩く歩行者と接触するのではないかというくらいに。

3.ジムにて

必要以上に大きな声で会話をするおじさんたちが居ました。マスクをして喋っているのであれば、「地声が大きな人なんだ」で納得できるのですが、そうではありませんでした。また、ロッカールームで別のおじさんが友人に挨拶を僕とすれ違う直前に大きな声でしてました。もちろん、マスクなしで。完全に彼の飛沫は僕に降りかかっていました。

これらの行動は、「非繊細さんの行動だ」と納得し、自身に言い聞かせてスルーするようにしています。少しでも周囲の人たちのことを考えてくれれば、と思うのですが、それも自身の価値観の押し付けかと思い、できる限り気にしないようにしています。しかし、それらの行為に目を瞑る、「心のシャッターを閉じる」ということは余計な力をかけてしまうことになり、ストレスになります。なので、正直なところできる限り外出をせず、人を見ないようにしています。

先日読んだ「繊細さんの本」では、自身の周囲の人たちとの関わりをどう改善していくかが書かれていました。僕は直接関わりのない人たちの行動ですら気になってしまいます。それは「繊細さん」以前に、自身が過剰に自身の価値観で上記のような行動をする人たちを判断してしまっているのかもしれません。自身に備わったものを否定するのではなく、それをどうやって強みにするのかを考えていかなければならないと思っていますが、まだそのヒントは見つかっていないように思います。

いいなと思ったら応援しよう!