今をときめくトランプ・スタイル

 今年は、「三浦春馬が所属事務所になんとかかんとか」だの、「バイデン不正選挙でなんとかかんとか」だの、とんでもないデマツイートが伸びていくのを目撃した。特に後者に関して、「トランプ票が燃やされた、捨てられた」とか、「バイデン票が不自然に伸びた」だとかいう陰謀論がどんどん出現する様子は、大変興味深かった。

 結局トランプさん自身は選挙結果に満足できず、法廷闘争に持ち込んだ。とはいえ司法判断が出たとしても、「司法もグルだった」とは言える(きっと言う)わけで、陰謀論が強化されるのみである。トランプさんがアメリカ社会に与えた1番の影響は、軍事政策でも租税制度でもなく、Twitterで陰謀論を唱えるのを政治における通常の行動様式にしたことではないだろうか。
 
 こうした傾向に伴って、マスコミ不信も興隆を極めている。「マスコミは真実を伝えない」「ネットにこそ真実があるのだ」と。陰謀論者やトランプさんの言説で面白いのは、常に「真実」の名の下で語っていることだ。しばしば、「現代は真実軽視[ポスト・トゥルース]の時代だ」というけれど、重要なのは真実という言葉が持つ形式上の重みはむしろ増したということである。言葉の実質的な意味が換骨奪胎されたのだ。

 近い将来、多くの市民がマスコミよりもTwitterの情報を信用するようになったとき、はたして社会の秩序と正義はどこまで失われることになるだろうか。確かに安倍さんはゴネがちな人だったけど、さすがにネット言説と共謀まではしなかった。高須さんやラサール石井さんのような、確証バイアスの典型例のような人たちに対しても、今のところ世間では称賛よりも冷笑の方が支配的だ。けれどいつの日か、そうした空気感は逆転するかもしれない。そうなったとき、政治の世界は分断と混乱から抜け出せなくなるのではないだろうか。

それはそうと僕は、今回のトランプさんに学んで、ジャンケンで負けないための荒技を身につけることができた。
負けてもこう言い続ればよいのである。「これは不正なジャンケンだ」「わたしの偉大な勝利だ」、と。

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