暗い話-2021年5月3日-その12
実は俺が今通ってる大学は一番行きたかった大学ではない。第一志望の大学は今年の3月に落ちた。高2の秋から1年以上、指標として目指してひたむきに努力していった大学だ。落ちたときの落ち込みは激しかった。
もう立ち直ったと思っていたけど、未だに夢で見たりする。起きた時は大抵嫌な気分になっている。いつも心の根底に「俺は第一志望でない」「理想的な人生を歩めていない」という負い目が淀んで沈んでいる気がする。
けれど大学の友人を見下したりはしない。高校時代の勉強や成績の話も自分からはしない。それらだけは絶対にしないように決めていた。いちいち自慢まがいのことをしても井の中の蛙で虚しいだけに感じるだろうと思った。
今日、釣具店に父親と一緒に行った。中古の5000円くらいの釣り竿を買ってくれた。中古で5000円と言っても竿が3つに分かれているながーいやつで、糸を通す穴も2つの柱で支えられて丈夫な作りになっている。4桁円台の中ではかなり上物の竿を買ってくれた。魚釣りを知らない人は何を言っているかさっぱりだと思う。俺も用語をよく知らない。
その釣具店で会計を済ませると、レジのところで中学の友人Aの母親が働いていた。
友人Aとは同じ部活で、Aは小学校からそのスポーツをやっていて、入部して直ぐにスタメン入りをしていた。俺は未経験な上に体育の授業すらままならない運動音痴だから、同い年の中では一番下手糞だった。俺が試合に出られるようになったのも2年の夏から、3年生が抜けた枠の埋め合わせでお情けだった。Aは負けん気が強い奴で、俺はよく叱咤を受けていた。悪い言い方をすると、見下されていた。態度にはっきりと出ていたから分かる。だから正直言って苦手だった。友人Aの母親も歯に衣着せないタイプで、同じく俺は苦手だった。
詳しくは言わないが、小学校、中学校とAとは別件でもトラブル続きで、できれば卒業後には会わないよう避けてきた。
Aの母親が俺に気づいて話をしたが、俺は話がしたくなかった。俺は外面を装うタイプだから客観的に見れば普通に仲良く話せていたと思う。
せっかく良い釣り竿を買ってもらったのに、なんだか嫌な気持ちになった。父親にも申し訳なくなった。帰りの車で父が「A君は浪人したんだっけな」と言ってすぐにしまった、という顔の後に気まずそうな顔をした。俺はそっぽを向いて「うん」と単調に答えた。
数週間前、Aが俺と同じ大学を受けていたことを母から知った。それを聞いてすごく吃驚した。俺が落ちた第一志望の大学は、言っちゃ悪いが、俺が全力で受けて落ちたレベルの大学であり、彼が受けるなど問題外だと思っていた。中学の頃、馬鹿真面目で勉強だけはできた俺は成績上ではAを視野に入れていなかった。A自体も上の下から中の上くらいの成績で、自分より目に見えて成績が下の生徒としか勉強の話やテストの点数比べをしないような、勉強において向上心の欠片もないやつだった(少々失礼な言い方かも知れないが)。
Aも俺と同じくその大学を受け、落ちていた。だが更に驚いたことに、彼はその大学に受かるために浪人を決めたという。
俺には浪人をする勇気がなかった。俺は、第二志望の大学なんて格下も格下で、周囲に鼻で笑われるような底辺大学だと(当時は)思った。それでもなお、浪人する勇気はなかった。一浪して落ちたときのことばかり考えていたから、浪人したとて無駄だったろうと思う。そもそも努力とか苦手だったし。
自慢じゃないが、俺は県でも有数の進学校に行った。Aは県内の中堅高校、といったところだった。その大学は俺の高校の上位10%が受かるかどうかという難度だった。だからAが一浪して受かるとは到底思えなかった。
彼の成績なんて知らない。もしかしたら、彼が高校で思い切り成績を上げたのかもしれない。俺はずっとその大学はC判定(合格率50%)だったが、彼はB判定やA判定をとっていたのかもしれない。
俺は、ここでだからこそはっきり言うが、彼にその大学に受かってほしくない。来年も落ちてほしい。格下だと思っていた人間が成長して、俺が落ちた大学に合格するなんて絶対にあってほしくはない。スポーツで俺を見下していた、大嫌いなあのAに、俺が唯一の矜持としている勉強ですら見下されるのは絶対に嫌だ。
俺が思っていることが人として最低だとは分かっている。最低というレッテルを貼られたとしてもなお、俺はそう思い続ける。彼は俺より馬鹿であるべきだ。