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エッセイ「話を作るとトべる」

小さな頃から物語を書くのが好きな子供だった。
現実世界に恵まれないので、頻繁に空想の世界に逃避行を重ねた。よくある話だ。

初めて書いた話は、小学校2年生の頃に図画工作で絵を描いて、その画用紙の後ろに国語でその絵に沿った物語を書いたものだった。いわゆるカリキュラムマネジメントというものである。
7人の少年がモグラの案内人に連れられて地下を冒険する話である。細かな内容は一切覚えていないし、恐らく作品も残っていないが、「少年全員がため息をつくと、その音階が奇しくもドレミファソラシだった」というくだりだけは鮮明に記憶している。

自由帳によく4コマ漫画を描く小学生でもあった。購買で最も多く買うのはノートでも予定帳でもなく自由帳だった。
棒人間の4コマ漫画「BOW人間シリーズ」で、主人公のBOW、ツッコミ役のナレーター、キレキャラのチビチビ、最強役のブロリーがいた。ブロリーはブロリーの顔そのままで、胴体が棒になった容姿である。「何か」という名前のアリみたいなめちゃくちゃ強いキャラクターもいた。基本的に端役が全員めちゃくちゃ強いから、誰かが場を荒らしに荒らして真っ白なサラ地にして終幕する話も多かった。
ストーリーものは当時読んでいた「ぼく、オタリーマン。」や、「デトロイト・メタル・シティ」や、「伝染るんです。」をほぼパクったようなものばかりだったと思う(当時は全体の50%も面白い点を理解できていなかったが、それでも物凄く面白いと思っていた)。そして、「かいけつゾロリシリーズ」や「スーパーマリオくん」によくある、作者が漫画の端に登場するという、有名な作家だからこそ許されているメタのユーモアを3ページに一度は入れていた。
だが唯一覚えているオリジナルストーリーがあり、「BOWが海鮮のイクラを取り出したと思ったら座薬でケツに入れだす」という話である。今でも面白いと思う。そういえば、座薬が子供の頃は面白いと思ってたな、と思い出し、改めて今でも座薬が面白いと思う。
「BOW人間シリーズ」は、たまに読みたがる友達には読ませるが、基本的には自分で読み返してニヤニヤするだけの目的で描かれていた。

クリエイターとしての熱は、中学校に上がっても冷めることはなかった。その頃からストーリーのコピーをダサいと思うようになり、全面にシュールを押し出したオリジナル4コマに移行し始めたり(絵を練習する気は無いため全て棒人間)、子供に向けた童話(でかい歯ブラシマンが海底の車をすくい上げて褒められる話など.)を書いたりし始めた。誰にも読ませていない。

賞レースの存在を知るのは高校生である。芥川賞という名前はずっと聞いていたが、まさか素人が応募できるものとは思っていなかった。正確には、芥川賞の選考に選ばれるために素人でも獲れる有名な公募に応募するという近道を知った。
文學界新人賞が近かったため、これに向けて小説を書き下ろすことにした。元々短編小説は好きで人並み以上には読んでいる自負があった。サキやチェーホフや魯迅などの海外の小説家が多かったと思う。中学生の頃に登場人物の10人全員がそれぞれの犯人で最後は探偵が一人でポツンとするというクソみたいな推理小説を書こうとして2人目の犯人のところで飽きてやめてしまったことならあるが、純文学の小説を書くのはこれが初めてだった。
スマホで見様見真似でWordをインストールし、芥川初のスマホ作家を夢見てニヤニヤしながらフリック入力で文章を打ち込み始めた。
これがクオリティはどうであれ、自分でも驚くほどにスラスラと書くことができた。思春期の創作意欲は我ながら惹かれるほどに素晴らしい。24時間以上ぶっ通しで書き続けて、およそ作品自体の終盤に差し掛かったところで、物語の時系列の整合性が取れなくなって諦めてしまった。そもそも規定量の文字数に足りていなかったことも原因の一つである。
だが僕はそれを放置していくつか作品を作り続けた。短編小説はいけるが中編となると途端に集中力に限界がきて駄目だった。今はAV探す用になってるサブのスマホ端末のWordの中身は、少しの短編小説と大量の中編小説の蛹の山でごった返している。
そして驚くべき事に実はこの頃にも4コマ漫画を描いている。男子はいつまでも昔のことをやり続けるサガである。アイビスペイントで絵もデジタルデビューを果たし、受験勉強におけるルサンチマンをビビ発散していた。Twitterで「#アナクソ4コマヒィーヒィー」と調べると、今でも当時の4コマが見ることができる。デジタルタトゥーの弊害である。

大学に入ると、お笑いサークルに入ってネタの台本を書くことがめっきり増えた。今では創作をしない日は無いほどにネタ漬けの日々だ。中でもコントの台本を書くときは未だに心が躍る。どういったセリフならお客さんに笑ってもらえるか、どのような表現にすればより自分の中での面白さを突き詰められるかを常に推敲する日常は、少年の頃に自分に抱いていた無限の可能性と創作の広大さ、寛容さと全く同じものだ。

どんなに嫌なことが起こったとしても、俺はこれからも物語を書き続けることでいつでもトぶことができる。

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