FOOL'S MATEとremix
昨日は赤ワインの「SIEMPRE」を飲んで寝てしまい、起きたら5時半だった。ここ数日、90年代に刊行されていたクラブカルチャー誌の「remix」のバックナンバーを6冊ほど読んでいた。これらは以前、うちの近所にあったボロボロの古本屋で手に入れたものだ。
remixとは元々複数の既存曲を編集して新たな楽曲を生み出す手法の一つである音楽用語である。1970年代のジャマイカでレゲエのエンジニアであったキング・タビーによって偶然発見されたダブに端を発し、世界的に普及したのは、1970年代後半のニューヨークにおけるディスコ・ブームであった。ファンクやソウルのレコードの中で、ダンスフロアで踊っている人々に(踊りやすいという理由で)好まれる部分の演奏時間を何とかして引き延ばしたいと考えたDJたちが、当初は同じレコードを2枚用意し、それらを並べて置いたターンテーブルで若干の時間差を付けて再生し、ミキサーを用いて手作業でそれらのレコードの「延長したい部分」を交互にプレイしていたのであるが、やがて最初からDJが使いやすいように原曲を引き伸ばしたり、ヴォーカルを取り除いたり、踊りやすいブレイクの部分や音のパーツを強調したレコードが発売された。
最初のディスコ向けリミックスは、ニューヨークのDJであるウォルター・ギボンズが手がけたファンクバンドDouble Exposure の「TEN PERCENT」という曲のロング・リミックスである。わずか数分の原曲を9分以上に引き伸ばしたこのリミックス盤は爆発的な大ヒットとなった。後にはダンス向けでない普通のポップスであっても、ディスコやクラブで掛けてもらうことによるプロモーション効果を狙った「ダンス・リミックス」が12インチシングルにカップリングとして収録されるようになった。
雑誌の方の「remix」はそうしたダンスミュージックの手法から名付けられていて、1991年3月、ガロ増刊として創刊された。日本では数少ないクラブカルチャー雑誌としてダンスミュージック全般を取り上げていたが、2009年8月発行の第219号で休刊。文芸社より再刊されるが、2010年3月発行の221号で再び休刊した。私がもっぱら購読していたのは90年代までで、2000年に入ってからは読まなくなっていた。
「remix」の前身で「MIX」という雑誌があったが、こちらは高校時代、浪人時代に愛読していた「FOOL'S MATE」の洋楽専門誌として刊行されていたものである。「FOOL'S MATE」は、ピーター・ハミルのファースト・ソロ・アルバムのタイトルから採られていて、そもそも雑誌のスタートは、ハミルが率いるバンド、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのファンジンであり、その後、プログレッシブ・ロックの専門誌として創刊(創刊号は1977年8月号)された。やがて、クラウトロック、ニュー・ウェイヴといった当時の先端的な音楽を記事の中心とし、ウィリアム・バロウズなどのサブカルチャーまでを取り扱うようになった。1990年代に入ると、「FOOL'S MATE」は通巻100号を機に洋楽専門誌と邦楽専門誌に分割された。洋楽専門誌は「MIX」となり、後に「remix」に改名しクラブカルチャー誌となった。
「FOOL'S MATE」の初代編集長の北村昌士を調べてみると、1984年にインディーズレーベルのトランス・レコードを創立するとともに、YBO2を結成し、ボーカル、ベースを担当していて、1985年には「FOOL'S MATE」の編集を離れ、音楽中心の活動をしていたが、2006年6月17日に心臓疾患のため49歳で逝去している。
YBO2には思い出があって、多摩美術大学の1年生か2年生の時、エリックサティの評論やジョンケージの紹介など、日本の音楽評論の第一人者である秋山邦晴先生の現代音楽論だったか20世紀音楽論だったか忘れてしまったが、YBO2のライブとトークセッションを見てレポートを出すという課題をやったことがある。その秋山先生も1996年8月17日に亡くなっている。
秋山先生はペヨトル工房の銀星倶楽部6「ノイズ」で、イタリア未来派のルイジ・ルッソロの「騒音の芸術」の思想と今日のノイズの系譜章として、ノイズ楽器のイントナルモーリを紹介していて、実は多摩美術大学に入る前に邂逅していた。イントナルモーリは第二次大戦で失われたが、1986年に秋山先生が多摩美術大学で復元していて、秋山没後の2002年2月24日に、イントナルモーリを使った演奏会が同大学で行われ、演奏には大友良英らが参加して録音はCDとして市販された。ちなみに、銀星倶楽部6「ノイズ」であるが、ヤフオクで現在、5500円の値がついている。即決価格だと7000円だ。捨てないで持っていて良かった。
6時半になって、いきなりYから電話があったので、何かと思ったらフィギュアスケートGP第6戦NHK杯で羽生結弦が優勝したので、スポーツ新聞を買ってきて欲しいとのこと。奴は羽生結弦のファンである。近所のローソンに行くついでに赤ワインの「MICHAY」を買うことにする。朝っぱらからであるが飲むことにする。
昼間起きておるのは落ち着かないので、「MICHAY」を飲んだあと睡眠薬を投下した。起きたら17時を回っていた。小腹がすいたので近所の業務スーパーに買い物に行った。もちろんその時、赤ワインの「SIEMPRE」を買うのを忘れない。
「SIEMPRE」を飲みながら久しぶりにテレビをつけてみると、NHKだったが大相撲の千秋楽をやっていた。白鵬が優勝したが、はっきり言って興味ない。それよりも、そのあとでやっていた「これで分かった世界の今」で来日しているローマ法王のフランシスコを取り上げていたので興味を持って見た。原爆が落とされたあとの長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」という写真家を見て積極的に核兵器廃絶を訴えていて、今回の来日でも長崎、広島を訪問している。長崎では「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の息子と会話を交わしたようだ。
私自身、カトリックの高校に進学して、宗教の授業で聖書を読んだりしたのだが、キリスト教には一切興味を持たなかった。逆に、その後、歴史を学ぶ中でキリスト教には十字軍遠征を始めとして、キリスト教国と呼ばれる国々が抑圧と暴力を行なってきたことを知って反発を感じている。ワンカールの「先住民族インカの抵抗五百年史―タワンティンスーユの闘い」を読んで以来、その気持ちは高まっている。タワンティンスーユとはインカ帝国を指すケチュア語である。ケチュア語は現在では、ボリビア、ペルー、エクアドル、チリ北部、コロンビア南部など、主に南米大陸各国で1300万人が使用している。ボリビアとペルーでは公用語の一つになっている。過去にはインカ帝国において公用語であった。「先住民族インカの抵抗五百年史―タワンティンスーユの闘い」を読んでいて、「スペイン人にとっての安全保障は皆殺しである」という記述には衝撃を受けた。
「SIEMPRE」を飲んで、ちょっとウトウトしてしまい、再び起きたのは21時前だった。それからは23時に「不滅の恋人」を見ないといけないので、起きている。