4.『CONGRATULATIONS!』
ある日の夕方、炬燵に入ってマッタリしていると、大阪の音大に通っていた姉が駅売りの新聞を買って帰ってきた。見てみると「大阪日日新聞」だった。普段、新聞にはあまり目を通さない姉が何を思ったのか大阪のローカル新聞を買ってきたものだから不思議に思い、
「なんで、こんな新聞買ってきたん?」
と聞いてみると、
「あんたが受けた高校の試験の解答が載ってるからや」
と言うではないか。大阪のローカル紙に函館の学校の入試の内容が載っているものだから珍しい。
「なんでこんなもん載ってるんや?」
と思い、ドレドレと新聞をみてみると、確かに先日受けた数学の試験内容と解答が載っていた。数日前に受けた試験だったので、なにを解答したのか記憶に残っている。私はさっそく自己採点をやってみた。フムフムフムフム。
「一問以外、全部合ってるわ」
というと、すかさず家族全員が
「嘘やろ?」と突っこんだ。
「いや、確かに合っている。全力投球で解答したから、解答は全部覚えてるんや」
試験当日、合格発表は函館の高校に張り出されるほか、ラジオの北海道放送でも放送されるとは聞いていたが、函館まで見にいけるわけはないし、ラジオも受信できない。郵送されてくる通知を待つしかなかった。先の新聞で少しばかり自信を持っていた私はそれが待ちどうしくてたまらない。すでに合格発表の日は過ぎていた。しかし、まだ私が合格しているかどうかはわからない。悶々とした日々を過ごす。
数日後、私宛に一通の封書が届いた。これでこの先の運命が決まると思うと緊張する。そばでは祖母が心配そうに私を見つめていた。恐る恐るあけてみると、前半部分は英語で書かれてある。細かい内容はともかく、冒頭の一字が目を惹いた。
『CONGRATULATIONS!』
合格だ。
思わずそばで様子をうかがっていた祖母の肩を抱きしめ、満面の笑みで、
「おばあちゃん、オレ、合格してたわ!!!」
祖母はそんな私の姿が嬉しかったらしく、何度も「よかったなあ~」を繰り返した。
翌日、学校に登校した私は担任の技術の教師、通称「じゃっかん」に合格通知を突きつけた。英文はわからなかったようだが、下には日本語訳が書いてある。1分ほど見つめた彼は一言、
「合格したんか?」と呟いた。
その一言がきっかけで教室中が騒然となった。皆が私の周りを取り囲む。口々に
「おめでとう」
「一人で北海道に行くの?」
「よう受かったな」
私の合格は職員会議でも話されたらしく、放課後、2年の時の担任だった嫌味な女教師が、なにを思ったのか、3年の私のクラスに飛び込んできて説得工作を開始した。
「あんた、一人で北海道に行って、ちゃんと生活できるんか?食事、掃除、洗濯もやらなあかんで!それに親の目がなくなったらタバコも酒もやるやろ!やめとき!」
確かに私は校内での喫煙が見つかって何度も厳重注意を受けていた。トイレのブースも何度かぶっ壊した。教師の車のナンバープレートもへし折った。しかしである。受かってしまったのだから仕方がない。しかもすでに心は函館に飛んでいる。
「生活は寮がちゃんと完備されていて、世話をしてくれる寮母さんもいる。大丈夫や」
と、表面上はおとなしく答えたが、心の中では、
「お前にいちいち言われたくはないわ、このクソババア!」
と叫び続けた。
この話には、もう一つ出来事が加わる。どうやら同じ学年の女の子が私のことが好きだったらしく、私が函館へ行くのを阻止したかったらしい。その子の女友達から突然電話が入り、
「だちゃん(当時の私のニックネームである)、どうしても函館に行くの?」
と聞いてきた。
「当たり前やろ!!!」
と答えると、
「だちゃんが函館に行くのが嫌な女の子がおるんやけど・・・」
そう言われても困るのは私である。念願の親との別居が手の届くところにあったからである。これだけは、どんな理由があっても譲ることが出来なかった。さんざん説得した揚句、とうとうその女の子は諦めたらしい。可哀そうなことをしたものである。