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北海道の交通事情

起きたのは3時を回っていた。いま出会い系アプリの「スタビ」で会話している専業主婦が、北海道内の移動に飛行機を使うって書いたらビックリしていたので、札幌丘珠空港、函館空港、新千歳空港のフライト情報を調べてみた。
まず、札幌丘珠空港であるが、函館行きが1日6便も飛んでいる。あとは釧路、利尻行きである。北海道新幹線が札幌まで伸びたら函館行きは廃止されるのであろうか?
次に、函館空港。札幌丘珠行きはともかく、新千歳行きや奥尻行きが飛んでいる。函館から奥尻島なんて近いじゃないかと思うのだが、奥尻島行きのフェリーが出ている江差に向かうJRの江差線の木古内駅 - 江差駅間が2014年に廃止されているので、飛行機に頼る他ないのかもしれない。確かに木古内駅 - 江差駅間はJR発足当初の1987年度の253人が2011年度は6分の1以下の41人に減少し、JR北海道管内で乗降客が最も少ない区間だったので廃線もやむをえないのかもしれないが、北海道内の鉄道が次々に廃止されているのは寂しい限りである。私が一番残念で、一度は乗ってみたかった天北線が国鉄からJR北海道に移管した2年余り後の1989年に廃止されたことである。天北線は音威子府駅で宗谷本線から分岐し、枝幸郡中頓別町・同郡浜頓別町・宗谷郡猿払村を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続していた。私が天北線に興味を持ったのは本多勝一の「北海道探検記」を読んだからである。この本の中で天北線に飛行場前駅という駅が出てくる。「北海道探検記」によるとここは、朝鮮人強制連行とタコ部屋により飛行場建設が行われ、終戦と同時に工事途中のまま放棄された場所である。1982年頃、本多氏が訪問しレポートしている。 脱走して生きのびることができた在日韓国人沈さん(59歳)が「本当にこの世の地獄でした」と語っている。
「北海道探検記」を読んだのは確か中学生の頃だったと思う。それ以来、北海道に憧れ、アイヌに共鳴し、北海道の高校に進学したのも無意識的にそう言う北海道に対するきもちがあったからだ。サラリーマンになって、社員旅行の幹事の特権で道東を選び、知床へ行って、知床横断道路を通ってウトロから羅臼へ抜けて、国後島を横目に中標津へ向かったのも、心の底に「北海道探検記」を読んだ影響である。
もう一つ函館空港で驚いたのは国際線があったことである。1日5便であるが台北(桃園)行きが飛んでいる。私が高校生の頃はしがない地方空港だったのに、今や国際線があるとは!!!
次に、新千歳空港。さすがは北海道の空の要であるだけにフライトは多彩である。北海道内に限れば、女満別、釧路、根室中標津、稚内、函館に飛んでいる。国際線を見て驚いたのは月・水・木・土・日曜日にアエロフロート・ロシア航空が母体のオーロラ航空がユジノサハリンスクに飛んでいるのである。サハリン(樺太)に国内の空港から飛行機で行けるのだ。ちなみに成田からも週に2便飛んでいる。なお、ユジノサハリンスクを含む北緯50度以南の樺太については、ロシアによる領有を認める国際法は存在しない。
昨日から読み始めたイザベル・ヒルトンの「高僧の生まれ変わり・チベットの少年」はパンチェン・ラマ10世(1989年死亡)の転生者をめぐり、チベットのラサ、ダライ・ラマの亡命先ダラムサラで、転生者探索に重要な役割を担う修道院長、転生ラマとその血族など多くの人々に会い、700年に及ぶ「転生ラマ制度」の歴史を追った本である。
13世紀のモンゴル帝国に始まり、清朝、ソ連、現代中国にいたる大国のチベット支配と政治介入の事実を、綿密な取材と詳しい資料から立証的に跡づけていく。ダライ・ラマが転生者と認定した7歳の少年(ゲンドゥン・チューキ・二マ)は中国当局に拘束されて行方不明となり、代わりに中国政府認定の6歳の少年(ギャルツェン・ノルブ)がパンチェン・ラマを継承することになる。これは周知の事実だが、「高僧の生まれ変わり・チベットの少年」はその裏で動いた中国政府の画策のあざとさを、遠慮会釈なく暴いてみせる。「輪廻転生」を「封建的迷信」として糾弾してきた中国共産党が、チベット仏教の占いによって「転生霊童」を探し出したと誇らしげに喧伝する奇怪さ。一方で、荘大なポタラ宮殿を仰ぐラサの町は「近代化政策」の名のもとに、由緒ある町並みが破壊され「中国駐屯軍ご用達のカラオケバーが軒を連ねる」醜悪さも描かれている。
小腹がすいたので近所のローソンで大盛り焼きそばとタバコを買ってきて食べたあと、コーヒーを飲みながら大阪の都市開発関連のニュースをチェックしたり、この日記を書いていたが、7時前になってテレビをつけた。最近はほとんどテレビというものを見なくなったが、平日朝の6ちゃんねるの「おはよう朝日です」と、そのあとの「羽鳥慎一モーニングショー」だけは何故か見ている。今日は9時に訪問看護師さんが来るまでそれをBGMにツイッターをチェックする。
訪問看護師さんのあと、ヘルパーさんが来て、ホルモン炒め作ってくれたので、それを食べて赤ワインの「SIEMPRE」を飲みながら本を読んでいると、14時ころにいつもご馳走してくれるMさんがやってきた。大阪赤十字病院の診察が早く終わったらしい。久しぶりだったのでどうしていたのかと聞くと、ガンの放射線治療受けながらこの間は肺の一部を手術で切り取ったので1週間くらい入院していたらしい。それでもMさんはタバコも吸うし酒も飲む。飲みに行くときも車で行くので飲酒運転だが、捕まったことはないという。
私は建築・土木の設計をやっていたし、Mさんは工事の人なので同じ業界ということで話が合う。24日に忘年会しようという話になって、れいランランというせんべろ(1000円でベロベロ)の動画をいっぱいアップしているユーチューバーの動画を一緒に見ていると小阪にある「あだち」という焼き鳥屋が出てきて、美味そうだったのでこれからそこに飲みに行こうとなって17時過ぎに車で小阪に向かった。
「あだち」ではそんなに飲まなかった。私は生ビール3杯とアテをいくつか食べて20時前には自宅に飲酒運転で帰ってきた。もうアルコールは飲めないので、睡眠薬を麦茶で飲み込んで読書していたらいつものように寝落ちしてしまった。

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