17.小杉クリニックデイケア
DARCの中での人間関係がおかしくなった時、私はDARCへの通所を辞めた。他のメンバーのように通所が義務付けられているわけでもなく、辞めるのは私の自由だ。そこで問題が発生した。昼間の時間をどう過ごしたらいいのか決められなかったのである。それに、DARCに通っているからと言って主治医にマイナートランキライザーを切られたのだ。これには参った。全然眠れない薬を処方されたのである。
小杉クリニックはアルコール依存症の治療はできるだけ生活に密着した場で行うことが大切であると考え、「毎日通院」「抗酒剤の服用」「ミーティング・アルコール講座への参加」「断酒会やAAへの参加」を治療の4本柱として展開している。特に水曜日のアルコール講座は人気らしく、クリニックに通院していない人も参加するほどだった。
昼間の過ごし方に関してはデイケアがあると言うので参加してみることにした。これが退屈でバカバカしく、すぐに苦痛と化した。私が通っていた頃とは内容は異なっているが、スケジュールは概ね以下のとおりである。
月曜日~絵画・水墨画、院内ミーティング、第1週:室内運動、第2・4週:お菓子作り、
第3週:音楽療法
火曜日~書道、第4週のみ俳句、読書・スポーツ、初診者小Gミーティング、創作
水曜日~料理、アルコール講座、卓球
木曜日~リラックスタイム(塗り絵・パズル等)、写経、初診者アルコール講座、太極拳
金曜日~料理、合同ミーティング、DVD鑑賞、最終週は反省会
このスケジュールを毎週毎週変わりなくやるのである。デイケアに参加しているもう現役をリタイアした年寄りなら良いレクレーションなのかもしれないが、私にとっては気がおかしくなりそうだった。また、このクリニックの院長はアルコール依存症を生活習慣病とよく言っていたものだが、私にとってはアディクション以外の何物でもない。デイケアそのものがストレスになり、DARC時代には飲まないでいられたのにまたしても毎日飲酒する生活に戻ってしまった。時々、前の夜のアルコールが残っているときは、デイケアへの参加が認められず、帰されたことも何度もある。小杉クリニックのデイケアの目的として掲げられていたのは以下のとおりである。
・アルコール依存症についての正しい知識と自分自身の飲酒問題への洞察を深める。
・長年、飲み続けてきた生活習慣を見直し、新たに、しらふでの生活を送るために、生活リズムの立て直しを目標とし、飲酒を続ける中で、低下してきた生活能力・体力・精神力(持続力、集中力、判断力)を回復する。
・同じ障害を持つ仲間との交流によって、より良い対人関係を作ることが可能にする。
と、きれいごとが掲げられているが、年齢も違う、生活習慣病とアディクションも全く違う。そんな人間を同じプログラムでケアすること自体が無理な話である。
そんなストレス満点のプログラムを続けていたとき、昼休みを利用してほとんどの大阪市民は近寄らない、日本最大最悪のスラム「あいりん地区」こと釜ヶ崎エリアに自転車で行ったことがあった。御堂筋線動物園前駅、JR新今宮駅の南側、西成区萩之茶屋・太子・山王の500メートル四方に囲まれた「労働者の街」が釜ヶ崎である。最近はこのあたりの簡易宿泊所の安さから海外のバックパッカーのたまり場となっているが、社会の最底辺に生きる者が住まう街として、何一つ変わることはなかった。昼間から酒を煽って道端で眠りこけるオッサン、冬には凍死するホームレス、炊き出しのボランティア、極左活動家、暴力団、ドライブスルーでヤクが買える街。それが釜ヶ崎だ。
自転車を低速で走らせながら何げなく露店に並べられている商品をじっくり見ていると、ベンザリンが売っていた。値段を聞くと500円だという。早速買った。他の所にも行ってみたが、堂々と睡眠薬が露店で売っている。それ以来、釜ヶ崎エリアを隈なく自転車で探ってみた。
釜ヶ崎エリアを大雑把に3つに分類すると、歓楽街的な色彩の強い浪速区側の「新世界エリア」と、ドヤやホームレステント、組事務所が立ち並ぶ居住地区「萩之茶屋エリア」、住宅が混在しつつも商店街があり大人の社交場である「飛田エリア」に分ける事ができる。萩之茶屋エリアと飛田エリアの境目あたりに阪堺電車と堺筋が南北に走る。
ここでは病院などで処方される薬が堂々と売られているのだ。金になるものは何にでも金にしたいのが、その日暮らしの労働者の本音である。たまたま病院に掛かって処方された薬が余ると、それを金で買う人間が居る。需要と供給のバランス、それだけ。法は存在しない。しかも風邪薬や湿布薬だけならまだしも、ハルシオンまで堂々と置かれているのだ。ちなみに当時の相場ではハルシオンが1シート1500円、ベゲタミンAが1000円、ロヒプノールが800円、デパスとベゲタミンBが500円、ヒルナミンが一番安くて300円だった。
デイケアで受ける強烈なストレスを釜ヶ崎で買った薬を飲んで凌いでいると、そんな荒んだ姿に共鳴したのだろうか、同い年くらいのYちゃんが話しかけてきた。その時のYちゃんもかなりのヤク中で、いくつかの病院から睡眠薬や精神安定剤を買っていた。デイケアルームでラリって倒れたことも何度かある。
それから次第にYちゃんと仲良くなると、私の自宅にも遊びに来て、男女の関係になるまでそれほどの時間はかからなかった。いわゆる13ステップである。そんなYちゃんを私は釜ヶ崎へ連れて行った。ただでさえマイナー&メジャートランキライザー中毒のYちゃんである。いままで何軒も精神科を受診してし、処方箋をもらい、睡眠薬や精神安定剤が処方箋も無く手に入る釜ヶ崎はパラダイスだっただろう。毎週土曜日の午前中が診察の時間なので、朝の6時ころに診察の順番を取ると、彼女を自転車の後ろに乗せて釜ヶ崎に行くのが習慣化していた。
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