デザインの原点
起きたのは昨日の22時半だった。読書するでもなく、ただベッドで横になってメアリー・J・ブライジとマイケル・ワットフォードのCDを聴いていたら日付が変わっていた。昨日は、ブックオフからの荷物が届くほかは何も予定がなく、ひたすら読書するつもりだったのだが、荷物が届く前に悪魔のYからの誘いに乗ってしまい、缶チューハイの350mlを3本飲んでしまった。また断酒1日目からのスタートである。ただ、他のアルコール依存症者のように飲んだからといって罪悪感はない。「あ~~~飲んじゃった」という感じである。まあ、事故みたいなものでまた1から始めればいい。
ベッドから起きだして、今日の分のブログの投稿を終わり、何気なくツイッターを見ていると、今日1月20日に十三の淀川文化創造館シアターセブンで「バウハウス100年映画祭」があって、「バウハウス 原形と神話」の上映後に倉方俊輔(大阪市立大学准教授/建築史家)、堀口徹(近畿大学准教授/建築映画探偵、建築教育研究者)のアフタートークがあるとのこと。上映は18:40からで、訪問看護師さんが来たあとに行っても間に合うのだが、残念ながら現金がない。有り金すべてをauWALLETにチャージしてしまった。
「バウハウス100年映画祭」で調べてみると、去年の11月23日から東京・渋谷ユーロスペースで開催され、その後、全国各地を巡回する予定で、6作品が上映予定なのだが、プログラムを見ると、「ミース・オン・シーン」と「ファグスーグロピウスと近代建築の胎動」が特に見てみたい作品だ。「ミース・オン・シーン」は、近代建築の三大巨匠の一人、ミース・ファン・デル・ローエの代表作でありモダニズム建築の最高峰と称される「バルセロナ・パビリオン」を取り上げ、この建物がなぜ今も語り継がれる傑作となったのか、後にバウハウス校⾧に就任するミースの建築思想とは、当時の記録と、現代の一流の建築家や学者などの証言で検証するものである。また、「ファグスーグロピウスと近代建築の胎動」は、バウハウス開校の8年前、初期モダニズム建築の傑作「ファグス靴型工場」が建てられる。バウハウス創立前の若き日のグロピウスは“労働者のための宮殿”を作りたいという工場主の夢を実現させるべく、新時代の工場を作り上げた。世界遺産に登録された今もなお、現役で稼働しているガラス張りの工場はなぜ生まれたのか。その歴史を追うというものである。
バウハウスはロシア・アヴァンギャルド(ロシア構成主義)に続いて私のデザインの原点になった、世界で初めて「モダン」なデザインの枠組みを確立した美術学校である。1919年、ヴァイマール共和政期ドイツのヴァイマールに設立され、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでの14年間であるが、当時他に類を見ない先進的な活動は、現代美術に大きな影響を与えた。19世紀までの装飾性に富んだ歴史主義建築などとは異なり、バウハウスの芸術家が生み出したデザインは極めて合理的かつシンプルなデザインであるため、機械的な大量生産に適していた。無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関であり、活動の結果として現代社会の「モダン」な製品デザインの基礎を作り上げた。デザインの合理性から、幅広い分野にバウハウスの影響が波及しており、特に理由がない限り標準的なデザインとして採用されている。そして、産業革命により20世紀初頭に巻き起こった、製品の合理性を追求するモダニズムの流れの中で、バウハウスのデザイン手法も派生を繰り返しながら爆発的な拡がりを見せて行った。現代までに、コンクリート製の建築物や、IKEAなどの普及品の家具のデザインや、ユーザーインタフェースのグリッドレイアウトやフラットデザインなど、多数の製品にバウハウスと同様の手法が使われて来ている。その他、ネット社会において、SNS等で多数投稿されている写真の自撮り・コラージュなども、バウハウスが起源となっている。テクノロジーの活用はメディアアートにも影響を与え、現代のデジタルコンテンツの制作手法の基礎にもなっている。従って、バウハウスが発明した合理性を追求したデザインは、現代人が意識する必要がない程に日常化したと言える。
十三のシアターセブンでは、この他にも、「少女は夜明けに夢をみる」、「i -新聞記者ドキュメント-」、「主戦場」などが上映されており、年末年始に爆買いしてしまったのが悔やまれる。もっと現金を手元に置いておくべきだった。
「少女は夜明けに夢をみる」は、高い塀に囲まれたイランの少女更生施設が舞台である。無邪気に雪合戦に興じる、あどけない少女たちの表情を見ていると、ここが厳重な管理下におかれた更生施設であることを忘れてしまいそうになるが、ここには強盗、殺人、薬物、売春といった罪で捕らえられた少女たちが収容されている。社会と断絶された空間で、瑞々しく無邪気な表情をみせる少女たち。貧困や虐待といった過酷な境遇を生き抜いた仲間として、少女たちの間に流れる空気は優しく、あたたかい。しかし、ふとした瞬間に少女たちの瞳から涙が溢れ出す。自分の犯した罪と、それに至った自分の人生の哀しみを思うという内容の映画である。
「i -新聞記者ドキュメント-」は、蔓延するフェイクニュースやメディアの自主規制、民主主義を踏みにじる様な官邸の横暴、忖度に走る官僚たち、そしてそれを平然と見過ごす一部を除く報道メディア。そんな中、既存メディアからは異端視されながらもさまざまな圧力にも屈せず、官邸記者会見で鋭い質問を投げかける東京新聞社会部記者・望月衣塑子。果たして彼女は特別なのか?そんな彼女を追うことで映し出される、現代日本やメディアが抱える問題点の数々を描いていく。
「主戦場」は、ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心を掻き立てられた映画監督ミキ・デザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいく。慰安婦たちは「性奴隷」だったのか?「強制連行」は本当にあったのか? なぜ元慰安婦たちの証言はブレるのか? そして、日本政府の謝罪と法的責任とは?次々と浮上する疑問を胸にミキ・デザキは、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、ケント・ギルバート(弁護士/タレント)、渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」事務局長)、吉見義明(歴史学者)など、日・米・韓のこの論争の中心人物たちを訪ね回った。さらに、おびただしい量のニュース映像と記事の検証と分析を織り込み、イデオロギー的にも対立する主張の数々を小気味よく反証させ合いながら、精緻かつスタイリッシュに一本のドキュメンタリーに凝縮していく。映画監督ミキ・デザキのデビュー作である。