一番困らせるのは神
「血はつながっていなくても、一緒に住んでいなくても、家族だよ」子どもにはそう教えた。男だから女だからもない。家族は家庭という四角い箱の中に居なくてもよかった。戸籍でも縛られたくもない。わたしはもともと結婚も子どもを持つつもりはなかった。
でも、ひらめきを感じて長男を産むことにしたのはこのわたしで「一人で育てるので産んで良いか」と聞いたら、子どもの父親は「ぜひ協力する」と言ってくれた。それならと結婚して離婚して、感情の全てを経験したような気がした。元夫とは、離婚して離れてもずっと家族だったけれど、一時は再婚した父親と暮らしはじめた子どもたちと会うこともできなくて、「ああ、この人は、もうわたしが死んだとてかまわないのだ」とおもった。
そして、元夫は再び離婚し、わたしは子どもたちと会えるようになった。(そりゃもういろいろあって)
元夫のせいで辛いことしかなかった、そう思ってたけれど。
子どもたちは関わった家族といまも家族として交流を続け、その報告を受けわたしはよろこぶ。「血はつながってなくても、一緒に暮らさなくても家族だよ」その言葉通りに。子どもらはそれが当たり前のようにしてくれたので、わたしもなんの抵抗もなくそのようになれた。
普通に暮らしていたら、出会えなかった経験。わたしの偏見や常識をことごとく破って、わたしを勇ましく自由に仕向けたのは、元夫、子どもらの父親だと、今日思い至った。今わたしがこうしているのも、両親を見送れたのも、子どもの父親が元夫だったからである。まさかの「おかげ」かも。
元夫のおかげで、わたしはなりたくない者にならなくてよかった。あまりの忙しさに、この社会の合わせなくていいものに合わせることもできんかった。あまりの忙しさにママ友のいじめにくよくよと取り合う暇もなかった。過酷だったけれど、わたしの理想通りに生きてきた。
問題ないどころか、ひょっとしたら、神の使いだったのかもしれん。(あ、今は子どもらの近くにいてくれて元気に暮らしておられる)わたしもいっときは、死ねばいいのにって思ったのになぁ。何があってもケロッともとに戻るのは元夫の得意技のひとつ。わたしも使えるようになったのかも。
わたしと元夫と何があっても、子どもが父親を愛する・父親に愛される機会を奪ってはならないとわたしは思ってきた。「いらない」と仕向けることも「必要である」と押し付けることも。そのためには、わたしの心を常に努力して濯いでおかないと濁る。が、これで心底気持ち良くなった。何段階かを経て、この離婚の件は終着駅っぽい。
そして、この『柚木ミサトの半生』という映画の原作と監督は、主演のわたくし柚木ミサトでした。(気分的にはエンドロールを眺めている。)
と、金曜のひるまっからお風呂に入りながら、そういうことかと「はっ」としたのでした。こんな気持ちになったのは、たぶん、わたしがわたしを大切に思うようになったから。自分の指の一本、心の一瞬をていねいによろこんでいるのです。自分がすこし満たされ始めたら、もうこんな気持ちです。別に状況が変わったわけでなく、自分の心持ちが変わっただけで。
こういう決着が来るとは思わなかった。どんなことがあっても、思いつめて刺し殺さないように。
では、次の映画をつくりましょう。
描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ