【会社を辞めさせる】大人になった子どもの様子を見て親がどのタイミングで介入するか。
長女の勤め先へ親である私が電話して辞めさせた。会うたびに聞く話では常に前向きに冷静に頑張って仕事をしてきたと思う。四年間だったけれど異例のスピードで責任のあるポジションにいた。
めずらしく泊まりに来るという。
いつものように一緒に楽しく過ごし、ちょうど用事があって来た父親も一緒にカフェに。席についてしばらくしたら突然娘が「泣けていちゃった…」と紙おしぼりで目を押さえた。号泣するのをこらえる感じで肩を震わせている。
しばらく見守って向かいに座っていたけど隣へ移動。問いかけるも返事もできず一向に収まる気配もない。あいにくカフェは満席で、堪えるのでなく泣かせてあげたかったので店の外へ連れ出した。
駐車場でしばらく抱きしめて車の中で話を聞いた。仕事の責任の重さに押しつぶされてた。けれど辞められないという。「仕事を辞める決定が会社にある」と信じていて、まだ自分の努力が足りないと考えていた。
辞める決定は会社でなく自分にあることを娘に説明した。
励ませば頑張るだろうと思った。でも、絶対に、がんばれと送り出したらいけないと思った。どこからか知らないけど、強烈に確信が来た。すぐに会社へ電話をして休ませそのまま辞める方向で考えて居る旨を伝えた。
わたしはずっとフリーランスで働いてきたイラストレーターだ。なぜ一人であるかというと、社会に抗える決定権が欲しかったから。会社にした時戸惑ったのは守りたい人たちができてしまったことだった。弱点になる。人は健全な状態であれば人を愛する。守りたい、悲しませたくない、喜ばせたい。そう思って頑張っているうちに無理を重ねて自分の状態が見えんようになる。冷静な判断ができなくなっていく。経験のある状態だった。
「辞められない」の拘束力が異常に強く、自分に決定権が無くなっているのはおかしい。
会社が脅したり責めたりしたわけではないと思う。期待している、助け合える、了解したと言いながらまったく助けにならなかっただけだ。会社がスケジュールとタスクを決め「出来ない相談」をスルーすればやらざるを得ない。必要がないことであっても。
今回、会社の在り方が壊れていたこと、悪気のない人の扱いの雑さに不信感を持ったこと、改善して続けていく意味を見出せなかったことがわたしの決定を後押しした。もちろん「辞められるのなら辞めたいか」と聞いたらうなづいた娘の意思があってのことやけど。
普段は子どもの人生に介入しないし、休む連絡なんて誰のものも代わりにしないけれど、今回だけは診断書の手配も電話連絡も全て母親であるわたしが行うと伝えた。
死んでしまったら取り返しがつかない。誰になんと言われようが思われようが最後のチャンスかもしれない。掴まないと。どんな子であるか、どんな親であるかはわたしらが知っていればいいではないか。選択が過ちであってもこの子を失わないなら他を取り返す努力はなんでもできる。おかしい!と思ったらいっとけ。
病院に行って診断書をもらい、長女はそのままアパートを引き上げわたしとしばらく住むことになった。安心したら、気が付いていなかった緊張がいくつも出て来た。いい判断であったと思う。始まった人生の第二部を楽しんでほしい。労働は苦しみではない。仕事は楽しいものだ。より素敵な人生へようこそ。
どなた様も、苦労と辛抱、服従の呪いにかからぬよう。
父親は手付かずのランチを前に長い時間ファンシーなカフェでどうしていたのか。笑
子どものためにお互い協力を惜しまない姿勢に足並みが揃ったのは離婚後20年経ってた。
人類みな家族ってことで。
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ほんっと、なんでもあるな。