よーく観察してみると、わたしに働きかけている。全てが。 「生きていくのはもっともっと面白いはずだ。」 それを自分で実験する。
わたしはただ「手段を自分の手に持ちたい。」の。
その工夫をしている。
今日はこんなことをメモしておく。
( ・◇・)ノ
持ってる概念を変える作業をしてて、調子いいよ!って話。
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「人はひとりで生きている訳でない、助けられているから感謝しよう。」
とかいうよね。それは、なんでかっていうと感謝してもされても元気が出る前提だよね。感謝があるかないかで人を計る人もたまにはいるけど。
でもね
素直に「ありがたいなぁ。」と元気が出るといいんだけど、そうでも無いんよね。「ありがたいはずなのに、感謝なんか湧かない。」と心が暗くなるわたし。助けてもらった事実はないわけないのに、元気が出るはずの感謝効果がない。
なんでだろうって。
で、自分と世の中の感謝を観察したわさ。
感謝が湧くのはどういう時かなって。
感謝はいいぞ、感謝しろよ、感謝がないんだよ!、と勧めたり必須みたいにやたら語られるから強く言っておきたいけれど、感謝のことはいいの放っておいても。感謝は満足があれば自然に湧いてくる。満足がなければそこに感謝の仕事はないの。湧かないのにどこかから無理に持って来なくていい。そんな感謝に効果はない。わたしは満足することに注目した。
1個目の発見は、「感謝はおまけ。本命は満足。」
わたしは、助けられた満足を感じていなかった。だって「自分のことは自分でなきゃいけない」「人にめいわくをかけない」って思ってきたから。助かった満足よりも、できなかった罪悪感の方が勝っちゃう。そんな人が助けられると「感謝」でなく「罪悪感」が湧く。幼い頃からか、気がついたら身についてた。迷惑はかけたらダメで「役立つわたし」が使命だった。できないことが多くて自分を責めて辛かった。
弟もそういう傾向があるから、幼い頃に何かあったかもしれない。このようなわたしであるメカニズムを知らなくて、起きる出来事を満喫できずにいたのだと思う。
2個目の発見は、満足を罪悪感に置き換えてしまうメカニズム。
幼い頃からずっと引っかかっていて、大人の後半で考え抜いて追求するものが見えてきている。わたしが生きていくのに大事な要素は「満足」だということ。我慢や辛抱、忍耐の類じゃない。その追求に実験を重ねて今に至ってる感触がある。
現実と、成長する上で社会から身につけてきたこと、わたしの持ってる感性がマッチしていない。
自分が身につけてきたことを修正する必要はあっても、根底から変えることは考えてみなかった。今まで、わたしは間違っていたのか、わかっていないのか。そんなことばかりが気になって満足を感じる暇がなかった不自然にも気がつかないで。
よーく観察してみると、わたしに働きかけている。全てが。
「生きていくのはもっともっと面白いはずだ。」
それを自分で実験する。
山や森の緑が萌え騒いでいる感じが何かに似ていると思ったら、
きんどーちゃんだった。
( ・◇・)ノ
+++++++ 補 足 よ +++++++
「感謝はおまけ。本命は満足。」
感謝はしてもいいよねって感じ。
されてもいいよねってくらいのポジション。
効果がすごいのは、相手の満足を喜んだり、共有すること。
その喜びは直接エネルギーになるよ。
わたしは愛しさって呼んでる。
愛する人が感じる満足に目を細めること。
うっとりするような素敵な事実。