DdExの取扱い説明書
DdEx(Don't die Experiment)という名前は、米ドラマ「ツインピークス」の台詞から取りましたDon't die….と異世界から繰り返し投げかけられるシーンです。「死ぬな!」てことなんですが、普段から仕事でも趣味でも危ないこと、アドベンチャーが日常なので、ふざけた名前ですがわりとしっくり感はあります。
Experimentはさいきんつけ足しましたが、昔アーティストの方で「~Experiment」て名前の人がいたなあ、と思い出していただきました。長いんで今はDdExです。
SM界隈はコロナ明けから出入りするようになりました、なので全然浅いです。
コロナ中はずっと山とか海にいたので正直自然にやや飽きました、なので街に出たくて、どうせなら新しいことっていうのが理由です。もちろん興味はありました、10年ほど前に縄を触っていた時期があったのでそれを思い出しました。歳を重ねていくとまだやっていないことというのは、多くありません、なのでやり残したものでもあったので僕にとっては続きです。
気がつけば何十年も僕はアングラカルチャーのなかを漂っていたように思います、ひどいこともたくさんですが振り返れば燃焼感もあって楽しかったです。おそらくだけど、ここが最後の表現の場なんじゃないかってそんな気持ちです、年齢的に。居心地はなんか良いように思えます。
表現というのは、かっこいいとか美しさとか目に見えるものじゃなくて、自分と折り合いをつけるみたいなことで、元々の自分がもっている問題、SM的にみれば癖みたいなものかもだけど、と今の自分が築いてきたものとを繋ぎあわせる作業なんじゃないかと思っています。
その表現をなぜわざわざ人前に立ってまでするのか?というのは考えてというよりは、そっち側しか知らないというのと、そうでないと自分の居場所がないと思うから、そうでないのをイメージできないのかもしれないけど本当に楽しむならって思います。
僕は現状誰もが認識してるSM道具というものはほとんど使っていません、僕は長年職人をしていて今は親方をして弟子もいます、技術は練習をすればだいたいのことはできるようになります。
職人の世界で最初から道具を持たせることはしません、観て学ぶをしていなければ実際に道具を持った時に自分を俯瞰してイメージできません、そこには空間的なものが含まれます、僕は5年あれば形というのはできると思っています、だけどそこから先に進める人間は少なくて、その要因のひとつとして多くを観ているかが大事です。
なので急ぐということでもないし、僕が人前でそれをやる需要もなければ必要もないように思います。
僕は服装やアイテム類について考えます、かっこよくとかモテたいの逆で、カッコ悪いことを選んでいます、目的の為に主張的であることが表現者としての自分であるんじゃないかって、そんな感じです。
表現というのは誰だってすればいいって思います、それぞれに少しずつ違った部分があるはずだから、そんなのが多くなると密度が上がって熱を持つもんなかんじです。
僕はアドベンチャー脳なのでトライアンドエラーを繰り返します、自然には同じことというのがありません、なのでその都度それを受け止めていくしかないので、死ななければよいです。
危険が達成感じゃなくてエラーの解決とかがそういうのじゃないだろうかって。
そもそも現実社会で人間がいちばん不得意なのにSMのニッチな界隈にまで来て人間が苦手だなんて思ってることに凹みたくはないのでがんばって進んでいくしかありません。なので仲間募集です、これからもよろしくお願いします!