【ふたりしずか・別話】 その後・夢は外から

# 十二月廿五日 放課後、事の終わり

「で、結局なんだったんでしょう」
「さあ。夢は夢でしょ」
「つれないですぅ」
「気持ち悪い甘え声やめなさい」
 終業式のあと、わたしたちはいつもの喫茶店で向かい合っていた。先輩はいつものカフェオレを、わたしはちょっとだけ冒険してみたくて、コーヒーをブラックで頼んでいた。ちゃんと飲めるんでしょうね、と先輩にジト目で見られたが、私だっていつまでも子どもというわけじゃない。コーヒーくらいなら味の違いはわからなくても、ブラックで飲める……はずだ。たぶん。きっと。
「もう終わったことだから言っちゃいますけど、先輩可愛かったです」
「……ノーコメント。というかいい加減忘れなさい」
「うふふ、いやです。ちゃんと手紙も大切に持ち歩いてます」
 鞄に忍ばせたそれを取り出すと、ちょっと、と慌てる先輩。普段の周囲から見て無機質な表情とは全然違う。この素顔(だと思いたい)を知っているのは私だけなのだ、と思うと、優越感もそうだけど温かいものに満たされる。
 なによ、と若干拗ねた表情で私を睨むけれど、なんのその。あの世界で見ていた先輩に比べれば、なんてことはない。
「大体、手紙から外に持ち出すなって言ったじゃない」
「いいじゃないですか、もう終わったんですから」
「それでも積極的に話していいことじゃないでしょう」
「夢の話を記録すると夢に取り込まれる、でしたっけ?」
「そう。夢日記は良くないのよ、色々とね」
 私に言わせれば、夢は所詮夢なのに、と思ってしまう。でも、先輩にしてみれば違うのだろう。私より多くの物語に触れ、それぞれの世界を覗き見てきた先輩にとってみれば、何か別の見方があるのかもしれない。
「だったらどうして、手紙に返事をくれたんですか?」
「……ノーコメント」
 そう、確かに最初に手紙を出したのは私だった。でも、それに対して事細かに返事をくれたのは先輩だ。それを皮切りに、お互いに言いづらいことを、手紙の中だけでは素直に吐き出せた。だからこそ、ということがあるのかもしれないけど。
 十日間の夜を思い返して、言葉が続けられなかった。そんな沈黙をフォローするかのようなタイミングで、髭のマスターがわたしたちの飲み物を持ってきてくれた。お互いに黙ったまま、口をつける。
 ……苦い。ブラックコーヒーって、こんなものだったのか。
「そんな顔しないの。確かに積極的に話したくはない。でもね、あなたには助けられたわ、間違いなく」
「そうでしょうか」
 先輩はカフェオレに口をつけたまま、曖昧に微笑んだ。でも、その目は決して否定的ではなかった。
「あれが何を意味するか、なんてもう考えなくていいの。確かに、不思議で不気味な恐ろしい夢だった。でも、もう終わったのよ」
「……はい」
 当人にそう言われれば、是非もない。
「悪い夢は変えなければいけない。でも、それが本当に悪い夢かどうかを決めるのは、夢を見た本人ではないそうよ」
「なんですか、それ」
「予知夢に振り回された女と、それに振り回された男の話。それに」
「それに?」
「……ううん、なんでもない」
 先輩は意味深に微笑んで、カフェオレを飲んだ。
 知らないふりをしたけれど、実は私も読んだ記憶がある本だった。私もつられて笑って、コーヒーを口にする。
「美味しい?」
「はい、とても」
 苦い。それは変わらない。でも、さっきの苦さとは違ったそれは、確かに何かが終わって、何かが変わったのだ、と教えてくれていた。
「どうぞ」
 そんなタイミングを見たかのように、マスターが声を掛けてきた。そこには、小さいけれどお洒落に飾られたケーキがふたつ。
「あれ、頼んでないですよね?」
「サービスです。素敵なお嬢さんたちに」
 そう言って髭の奥で笑うと、静かに去っていった。
「そういえば、今日はそんな日でしたね」
「確かに。とんでもない夢のせいで、すっかり忘れてたわね」
 お互いにそう言って苦笑いした。でも、美味しそうなケーキを前にして、それまでの憂鬱はどこへやら。
「いただきましょうか、せっかくだし」
「はい!」
 後ろの方で「マスター、お会計を」という声がして、思わず目を向けた。後ろ姿だけなので、誰かはわからないけれど。
「どうしたの?」
「いいえ、気のせいでした」
 知ってる人がいたような気がしたんですけど、と誤魔化して、ケーキに向き直る。怪訝な顔をする先輩をよそに、もう一度そっと盗み見る。
 すでに去った後で、カラン、というドアベルの音だけが寂しく響いていた。けれど。
『夢を見るのは——』
 ドアが完全に閉まる前の僅かな隙間、冷たい外の風と一緒に、聞き覚えのある声が混じっていた。
 先輩には聞こえなかったのだろう、ケーキに頬を緩ませている。うん、今はそれでいい。楽しい祝いの日だからこそ、精神の集中と、落ち着きと、喜び。深く内省し、内面を見つめ直すこと。今こうして目の前にある、それを大切にすればいい。この十日間の夢は、それを確かに私たちに教えてくれたのだ。
「先輩。来年も再来年も、その先もずっと一緒ですよね」
「なに、改まって」
 妙な言い回しになってしまったが、今だけは夢の続きだと思うことにして、まっすぐに先輩を見つめた。そんな私を怪訝に見返してくるけれど、それでも静かに微笑んでくれた。
「何を言ってるんだか。約束でもほしいの?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ」
 硬くなりすぎたか。思わぬ言葉が返ってきてつい狼狽えてしまう。先輩はそんな私をみて、なんだかとても楽しそうだった。
「……なんですか、もう」
「ううん、なんでもないの。でもね」
 手を貸しなさい、と言われて素直に差し出す。と、先輩は私の手をそっと握ってくれた。あったかい。
「そんな当たり前のこと、約束してどうするのよ。約束はもっと、あやふやなものに使わなきゃ」
 今だけは素直に教えてあげる、と前置きして、そんなことを囁いた。
 一瞬にして頬に熱が集まるのがわかった。顔に出やすいとはいえ、ここまではっきりとわかるなんて。先輩は心から楽しそうに笑って、手を離した。
「ほら、手が止まってるよ」
「……誰のせいですか」
 少しだけ拗ねた言い方で照れ隠し。バレバレなんだろうな、と思いつつも、決して嫌なそれではなかった。

 窓の外は煌びやかに彩られ、喧騒に包まれている。でも今の私たちは、そんな喧騒からは隔離され、この小さなテーブルで向かい合ってお互いをしっかりと見つめている。
 たくさんのモノや、複雑なものは、必要ない。小さな場所に、私たちだけ。それだけで、何よりも倖せだった。

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