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【ひとりしずかに】 12月。一年で一番忙しない月のこと。

 師走。その名の由来通り、とにかく色々と重なってなんもかんも忙しい時期である。
 一般人から見て世捨て人に近い私も決して例外ではなく、やはり一年のうちで一番忙しないのはこの月であると言えよう。
 偶然にも私の行うべき年間儀礼が多く重なっているというのもあるが、単純に書くためのリソースを一番多く確保しないといけない期間でもあるからだ。
 そんなわけで今月は、私が一番と言っても過言ではないほど大切にしている礼についてと、書くためのリソースを確保する理由……その結果である先日仕上げた短編について、少しお話ししようと思う。

《 初日の出の対偶 》

 何かと言えば、『最後の日の入り』のことである。
 十二月三十一日。一年の一番最後の日、大晦日の夕陽。それを必ず拝み、見送ること。私が自ら定めている一年の間で必ず行うべき儀礼、その中でも一番最後を締める礼だ。
 きっかけは、子どもの頃に読んだ本だった。相変わらず書名などは忘れてしまっているが、その中に『みんな初日の出ばかり拝むから、自分は最後の日の入りを拝むんだ』というセリフがあった。その言葉を読んで、子どもながらひどく共感したのが最初である。
 ひねくれた子ども、などとは今更である。それについては嫌というほど自覚しているし、昔から私の趣味嗜好が(一般的と言われるそれと)ずれていた、というのは過日に語った通りである。これについては七月の雑文を参照していただきたい。
 さておき、最後の日の入りを拝む話である。
 私の趣味嗜好については、昔から私の両親ですら理解が及ばない物だった。直接語って聞かせた事は無いのだが、何気ない話をしている時に感じる反応とそこで感じる違和感が、それを大いに物語っていた。
 故に、最後の日の入りを拝む事についても、話したところで理解されることはないことを私自身承知していた。逆に年末の忙しい時期に、と怒られることすら見込まれる。なのでそれを口にする事はなく、自分の動ける範囲で見送る、ということから始めていた。
 とはいえ、さすがに子どもの足では行動範囲が限られている。育った環境もあり、自分で自由に動ける範囲はとても狭かったが、少しでも拝めるようにと、工夫して毎年見送りを続けてきた。
 大学進学でようやく実家を離れてからは、自分の好きなように、好きな場所で拝めるようになった。体調不良や仕事の都合でどうしても、という年もないではなかったが、何事も無く行ける時は、できるだけ色々な場所へ足を伸ばしていた。
 巡り合わせが良いのかはわからないけれども、これまで最後の日の入りを拝んだ年で、雨や曇りのために拝めなかった年は一度もない。たとえ雲が多めだったとしても、沈む間際に必ず御姿を拝すことができる。ある年には、到着した直後にわか雪に見舞われるも夕方には晴れた、という嘘のような本当の話まである。天気とは文字通り天の気まぐれ、それでも最後に御姿を拝めるのは、とても有難いことである。
 見送る場所について特に拘りがあるわけではないが、大抵が海の見えるところ(正確には海に沈むのが見えるところ)になる。ただ、それ以上に重要なのは、静かに祈れる場所、ということだ。
 日の入り、すなわち夕陽となると、それを見られる場所はどうしても特定の人種が群がっていることが多い。それが悪いこととは言わないが、こちらは一年の締めであり心静かに見送りたいので、周りで騒がれるのは正直穏やかでは無い。大抵そういう人種は自分たちのことしか見えていないので、こちらから距離を取るしか無い。
 故に、毎年まず行く場所を決めてある程度の見当をつけてから、現地でさらに見送る場所を探す。こういった事に関する勘と運は強いので、大抵は良さそうな場所を見つけることができている。巡り合わせもなかなかに良く、本当に有難いことだ。
 今年については、船の上から見送ることに決めた。最初は別の場所を候補地にしていたんだけれども、偶然飛び込んできた情報に目が留まり、色々調整した結果そちらへ変更と相成った。
 大晦日の礼で本土を離れるのは三回目。今年は一体何を拝めるのか、今から楽しみである。

《 降誕祭に絡めて短篇小説を書くこと 》

 ある時からほぼ毎年、クリスマスに合わせて短篇小説を書いてきた。今年はその中でも特に、妙な形で完走した作品になったと思う。正直、私自身も予想していなかった形である。ここではこの形になるまでの裏話を、自分の反省の意も込めて話しておきたいと思う。
 まず、今回の話を書くにあたって下地にあったのは、ディケンズの「クリスマス・カロル」である。話の構成や流れがとても好きで、いつか自分でもそんな話を書いてみたいと考えていた。過去・現在・未来の精霊が、今の自分にさまざまなものを突きつける。スクルージの性格がそれを味のあるものに仕上げており、いかにもイギリスらしいブラックユーモアである、と思う。
 実は数年前に、とある作品の二次創作として、これをベースにクリスマスの話を書こうとしていたことがある。その時に、ただ倣うのでは芸がない、『夢』の話として書くのだから、構成にさらに夏目漱石の「夢十夜」を加えてみてはどうか、と考えて『クリスマス前に見る十日間の夢』という基本構造を決めた。
 しかしこの年は、拠無い事情あって執筆は途中で頓挫。時期を見て続きを書こうとはしていたもののなかなか筆は進まず、結局そのまま宙ぶらりんで放り出す形になってしまった。
 だが、このままでは終われない。私が書きたいと思ったものは、どれだけ掛かっても、どんな形になっても書き上げるのが信条である。すぐではなくとも、改めて再構成しなおせないかと、ずっと構想を練り直していた。
 今年に入ってから改めて自分の物書きとしての方向性を見直していく中で、クリスマスの物語は去年書いた二人を出し、この企画をもう一度やりなおそうと思い至る。
 ただ、無策にやり直すのでは芸もないし、何より前回の二の轍を踏みかねない。何か他に組み込んで面白そうな構成を、と考えている時に目に留まったのが、一度読み終えて再読するための積み本に乗っていた「三島由紀夫レター教室」である。
 五人の登場人物が手紙のやり取りをしているだけの物語であるが、これに倣い形を変えて、私が気に入っている二人の文通記録にしてもいいのでは、と思い至る。これは誰しもそうであると思うのだが、直接会話では言えないことも、手紙という形を取って言葉を文章にすることで、様々な事案を冷静に見直し、たとえ言いづらい事柄でも多少は伝えやすいのでは、と考えたのだ。夢というのは特に、言語化するのが難しい事項の最たるものであると思うし。
 では、夢の内容をどうするか。これについては前回通り、私自身が実際に見た夢を使う事にした。
 今回夏海が最後に言葉にした『夢日記』と言えるほどのものではないが、私は夢を観て起きた時に、その感覚が消えないうちに記録するという事を、完全ではないが以前から続けている。夢日記が良くないというのはある意味で本当の事ではあるけれども、私は言葉と視覚に依存した物書きである。観てしまった以上、記録を取るのはもう呼吸と同義である。仕事ではない趣味の事とはいえ、いつどこで使うかわからない。実際こんなふうに役に立ったし。
 今回はその中でも、内容の割に随分と冷静だな、と記録途中で不思議な感覚になったものを主に採用している。選定した夢の内容がそれなりにひどいものばかりだったので、多少ぼかしたり形を変えたりして甘めにはしているものの、大筋は変えていない。別にここから夢判断をするわけではないのだし、そこに支障はないであろう。
 実は最初の草稿では夏海に夢判断をさせるシーンがあったのだが、諸々の都合により削った。彼女の最後をあの形にする為に、物語の中で夢を分析させるのは面白く無いと思ったからだ。いやまあ書いてみたところ、私が納得しきれなかっただけなんですが。
 とにかく、斯くして二人が妙な夢に振り回される文通記録が出来上がった。ベースが『三島由紀夫レター教室』に寄ったが、それでも本来書きたかった構成に近いものが出来上がったと思う。不条理劇を観るように愉しんで頂ければ幸いである。
 今回の物語については、形を借りたりシーンを参考にしたり、イメージの元になったものがあまりに多かったので、あとがきの最後に参考文献などを記載させていただいた。たぶん抜け落ちはないはずだ。改めて拾い出してみると興味深い並びだな、なんて自分で思ったり。

「いいものを読むことは書くことよ。うんといい小説を読むとね、行間の奥の方に、自分がいつか書くはずのもう一つの小説が見えるような気がすることってない? それが見えると、あたし、ああ、あたしも読みながら書いてるんだなあって思う。逆に、そういう小説が透けて見える小説が、あたしにとってはいい小説なのよね」
 『 三月は深き紅の淵を 』 恩田陸 著 より

 唐突な引用であるが、まさにこの通り、である。
 今回自分で書いたものが良いものである、とは正直言い難い。が、参考にした作品たちが非常に素晴らしいものであるのは間違いない。もし気になるものがあれば、ぜひとも読んでいただきたい。一部手に入りにくいものもあるが、お薦めできるものばかりである。

《 12月の終わりに 》

 2024年の終わり、先月の最後に書いた通り、以前に頓挫したことの「やり直し」が無事終わりました。とはいえ正直なところ、十日間を確実に出すために間に合わせたところがあるので、まだまだ手入れの余地はあります。手が回るようになったら、そのうち再構成版として全編調整しなおして、一つの記事に纏めてみたいとは考えています。
 今年の私の進捗は、諸々あってやろうとした事の達成率は6割程度、となりました。とにかく色々再考の余地がある年の終わりです。けれども、書いていくことを積み重ねるという意味では、少しずつでも成功しているのではと思います。
 物書きとしての区切りは三月、まだもう少し先が待っている。残りもしっかり詰めていこうと考えています。

 何はさておき、来年が良い年でありますように。
 それではみなさま、よいお年を。
 また別の物語で、お会いしましょう。



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