【ひとりしずかに】 3月。心は深き淵に沈み、薄紅色に染まるあの春を待つ。

《 出会いと別れの季節 》

 こんな言葉は昔からよく言われてることだ。そのうち、別れは3月、出会いは4月に固まっているように思う。実際、卒業式や終業式なんかは3月だし、年度の終わりも3月。入学式や入社式、そして新年度といった新しい環境に入るのは4月から、というところが大多数ではないだろうか。
 だからと言って、春という季節の代名詞にそれを持ってくるのは何か違うんじゃないかなあ、とは常日頃思っている。
 というのも、私自身は特筆することもない環境で、普通に入学も卒業も経験してきた。しかし、その過程に於いてさえ、出会いと別れというものが今ひとつ身に馴染まなかったからだ。
 自分が通ってきたのだから、言葉の意味するところはわかっている。しかし、特筆する環境ではないとはいえ、周囲からの影響による他人への不信感が大きな原因であるかもしれない……と、これについては別の機会に書いてみたいと思う。書けたらね。
 さておき、出会いと別れなんていうものは、それこそ大なり小なりいつだってどこにでも転がっているものだ。何かに縛られてそれらを特別視すると、日常に潜んでいるそれに不意打ちを喰らうことだってあるもの。まあ、だからこそ書き物のネタとして、不意に起こるそれが重宝されるのかもしれないけれども。
 とまあ、こんな考え方してるから周囲からはどこかズレた人扱いされているんだろう。でも仕方ないよねこれは。三つ子の魂百まで、身に刻まれてしまったものはどうしようもない。


《 3月11日。震災の話(思う所ある方は読み飛ばしてください) 》

 出会いと別れ、そして3月といえば、私にとって忘れることのない、思い出すことのない出来事がある。
 私に限らず多くの人が、それこそ限りなく多くの人々が巻き込まれた出来事であろう。そう、東日本大震災である。
 私はその日関東にいて、この日が発売日のとある品を手にいれる、という目的のために電車で移動していたが、途中駅の停車中で地震に襲われた。
 その日の記憶と出来事を書き出すと止まらなくなるので詳細は省くが、震災当日、手元のガラケーで見たリアルタイムの津波の映像(当時私の持っていたそれはワンセグ機能つきで、テレビの映像が受信できた)、そして交通機関が麻痺したせいで歩くことになった夜の国道で、大きな川を渡る橋の上から見た不気味なまでの静かな風景は、いまだに脳裏に染み付いて離れない。おそらく今後一生、離れることはないだろうと思う。
 あの日の諸々は、私の中にあったものを決定的に壊して変えてしまった。私の友人たちは幸運にも無事だったが(東北地方のとある大学にいたので、向こうの知り合いがいる)、当然、そんな幸運に救われた人ばかりではないことは、既に周知の事実である。一寸先は闇、というのとはまた違うが、今日に続く明日はありえない、ということを身をもって知ってしまった。
 別にそれまでも、眠って目が覚めたら無事に1日が始まるとは考えていなかったけれど、明確なビジョンのない漠然とした感覚だった。物語で読んで知っている程度、の軽い気持ちであったことは否定できない。
 故に、変わってしまった。変えられてしまった。変えざるをえなかった。あの日の後にも何度か現地を訪れ、その風景を目に焼き付けてきた。その度に、私自身の在り方を考える。これは、そういった経験であり、私の思考と在り方に、それだけ大きな影響を与えた出来事だった。
 あの日以来、毎年3月11日は祈りを捧げる日としている。特に宗教に属しているわけではないので、私なりの『やり方』で、あの地が再び生き返ることを祈り続けている。
 今年は年始に、大きな震災がまた発生した。被災地を支援するため自身にできることを、とは言っても、自分ごときに大したことなど出来はしない。それは過去の私に教えられた、この身を以て知っている。
「頑張れなんて、無責任に言うものじゃない。現場に居ない我々にできることは、無責任な声援ではなく本気の祈りだけだ」
 あるところで知ったこの言葉の通り、故に私は祈り続ける。私なりの『やり方』で、被災地の復興を。

 余談ではあるが、この日の目的だった品は翌日無事に入手し、本来の役目を終えた今では色々な意味でのお守りとして、私の手持ちの中で生き続けている。


《 読書メモ 》

 さて、私にとっての3月といえば、ある2冊の小説を読み直し、その物語を追いかける季節と決めている。今月は、そんな2冊を紹介したい。

⚫︎1冊目『三月は深き紅の淵を』(著;恩田陸先生)
 このタイトルの四部作の本が物語中に存在し(以下、『三月』と略します)
・外側の四つの話(つまり、私たちが読む『三月』の物語)
・内側の四つの話(この物語中で存在する『三月』の中にある四部作)
 が同時に在って、作中では内側に存在する『三月』の謎を巡って外側の話が進んでいく構成になっている。
 外側の物語、私たち読者が読む側を掻い摘むと、
 第一章ではとある人々が『三月』を巡って賭けをし、
 第二章では編集者の二人が『三月』の作者を探し追いかけ、
 第三章では『三月』が書かれた背景が見え隠れし、
 最後の第四章は作者のモノローグと謎の旅物語が重なり合っている。
 そしてそれぞれの章に登場する『三月』に、またそれぞれの四部作の物語が含まれているという入れ子のような構造の物語である。
 一度読んだだけでは、このすべての構造を読み解き把握するのは難しいだろうと思う。少なくとも私はそうだった。
 最初にいきなり『チョコレート工場の秘密』が出てきたと思ったら、その回収は後まで見つからず。特に掴みづらかったのは第四章、すっかり騙された、というと言い方が悪いが、作者のモノローグに被さっている旅物語と、『麦の海に沈む果実』に係る物語に引っ張り回され、最初はどうしても分けて考えることができなかったほどだ。
 しかし、繰り返して読んでいくうちに、少しずつ物語自体を解体しながら読めるようになった。関連作であるものを一緒に読むことで少しずつ繋がりを見つけて、それぞれ別の視点で見られるようになったと言ってもいい。
 この小説で私が一番好きなのは、第二章で編集者の二人が『三月』を巡って色々語り合い、作者を探す旅を描くところである。
 この章の二人の旅は私の出歩きにとても近い旅をしており、まるで私自身が本当にこの旅をしているような気にさせてくれるのだ。
 そして何より、物書きであり「本を読む」側にいる私は、この二人の語る主張に深く同意してしまう。
 そのひとつを挙げるなら、「物語は、物語自身のために存在する」。前後の文章はここでは割愛するが、私はまさにその通りだと思ってしまった。本に書き込みをするなら「同感なり」と残すだろう。自分も書くときには、このような作品を書くようにしなければならない、と最初に読んだ時に背筋が冷えたのを忘れられない。
 ここに限らず他の章にも、まるで目を醒させるが如く冷水を掛けられるような感覚を覚える言葉がたくさんある。特に文章を書く人にとっては(肯定するか否定するかは別として)色々考えさせられるのは間違いないだろう。
 細かいあらすじをこれ以上引っ張り出すことは控えたい。とにかく、これは先入観なしにぜひ読んでほしい物語だと思っている。特に、文章書きであったり、大量の本の読み手であるという方には。

 内容メモ。自分用付箋として付記。
 外側第二章で書かれる内側の「黒と茶の幻想」の謎。これをいつか小説に。
『死神たちの白い夜』について、詳細を追いかけること。


⚫︎2冊目『夢違』(著;恩田陸先生)
 人が眠っている時に見る「夢」に関わる物語。作中で起こる「無意識をめぐる事件」について考えるのが、私の三月の過ごし方のひとつになっている。
 夢が「夢札」というものに記録できるようになり、また予知夢からつながっていく様々な出来事。予知夢も含めて、最終的にこれはただの夢の話では終らない。
 全編通しての鍵となるのは、平安時代にあった考え方である「夢にその人物が出てくるのは、その人があなたのことを想っているから」というもの。私はこれが何よりも素敵だなと思っていて、まさかここで出会えるとは思っても見なかった。作中では「夢は外からやってくる」と綴られており、まさにその通りのことである。
 夢は外からやってくる上に、ただの夢だったものが視覚的に記録できるようになったことで、それはある意味で一つの真実となり得る。私に言わせれば、もっとも恐ろしいものの一つがここに顕現する、と言い換えられる。
 あと、何より重要な日付の「3月14日、月曜日」。最初はまったく意味が分からず、調べても特にそれらしい事項が見つからない。もしかして出版年で綴ったのかなとも思ったけど、最後まで読むとわかるが、重要なシーンではわざわざこの日と曜日を指定している。そこまでされているのにそれでは理由づけが弱いな、とぐだぐだと思考を巡らせていたら、なんとも思わぬところから答えの候補が転がり込んできた。
 ある3月の朝のことだ。仕事の用意をしながらいつも通りNHKラジオ第一放送を聞き流していたら、いきなりこの日付が読み上げられたのだ。瞬間、意識が全てそちらに向き、仕事の用意などそっちのけで、その内容に耳を傾けた。
 そこからわかったのは、どうやら過去にアメリカで行われた洞窟実験に関連があるらしい。手近な紙切れにすぐメモを取って早速本を探して入手したら、1989年にニューメキシコで行われた実験のレポートに辿り着いた。細かい内容は省くけれども、ヒトの体の免疫機構や生理現象、サーカディアンリズムの変化など、非常に興味深い内容だった。本編ではこれをこのまま引用しているわけではないが、拡大解釈として集団的無意識に持っていくと、擬似的に成立する。
 ただ、これが本当の正解かどうかはわからない。確かに3月14日という日付は出てはいるものの、この実験が行われた年の曜日とは合致しない。しかし被験者から「月曜日の朝」という言葉は出ている。実験内容やその成果などをこの物語に照らし合わせて総括的に判断すると「正解かどうかは断言できないが、限りなく正解に近い事項」であると私は思っている。今後もっと読み込んで、詳細まで調べてみようと思う。
 この答えを得てから、私はこの日この曜日を決めて、奈良へと訪れるようになった。時期もちょうど良く、この物語のことを考えながら彼らが歩いた道を辿る旅もまた愉しいもの。それ以外にも見どころはたくさんあるし、何より他の物語へとつながる道標がある。それを訪ね歩くのも、何かのきっかけを見つけ出すことにも繋がって良いものだ。
 3月14日、月曜日。ラストシーンの重要な日であるとともに、私にとってはあのはるを探しに行く大切な日でもある。次のこの日は2033年。せめてそれまでは、私自身がこうして居られれば良いと切に願う。


《 3月のおわりに 》

 さて、最初から少し重い話が出てしまった。震災については先日出した短編とともに、あの日のことを改めて振り返る内容となった。
 今回、震災について短編・エッセイと、久しぶりに自分の記憶をまとめなおしたせいだろう、精神的に少し参ってしまったらしく、ある日の夜に一気に波が来た。普段なら一晩寝ればある程度持ち直すが、今回はさすがに私自身で持て余すほどだった。どうにか気を鎮めようと自分で私に投げた言葉に、逆にあんなに揺さぶられることがあろうとは。
 これを書いている今はどうにか持ち直したが、正直まだバランスが取れていない感がある。残りの3月中はこのまま、来月のとあるタイミングまでは他に触れず読み書きのみに専心し、心を少しだけ休める期間にしようと思う。いくら好きなことでも、諸々の刺激に触れることで、またいろいろ波立たないとも限らないし。

 三月の国に沈みたい、などと考えながら夢の向こう側を彷徨う。私にとっての3月はまさにそんな月である。そういえば、『夢と現の狭間に』という超短編オムニバスを書こうと企画したのも去年の3月だった。形として落とし始めたのは4月に入ってからだけれども、去年の今頃には既に、数本のプロットが存在していた。なんだかんだでもうじき1年、12本目の短編も、もう仕上がりが見えてきている。
 来月以降のこれは色々考えた挙句、図書室が舞台の先輩と後輩の話を軸にする予定で創り始めた。長さは超短編のまま変わらないけれど、『夢と現の狭間に』の中で、私が個人的に一番気に入っている二人にもっと焦点を当ててみたいと思う。
 ほかにも、いくつか手をつけたいことがある。物書きとしてもっと幅を広げたい事もあるし、他には私の中での野心の一つとして、私が書いた脚本をとあるお方に朗読していただきたい、などという身の程を弁えないものもある。何れにせよ書き続けていく理由がある。出産が楽なもので、あろうはずがない。故に私は書き続ける。
 今回書き出して気がついたのは、エッセイとなるとどうしても私自身のことに触れる内容が多くなる、ということ。何を今更そんな当たり前のことを、と言われるかもしれないが、ざっくばらんに時節のこととおまけ程度に身辺雑記を書けばいいかな、と軽く考えていたふしがあり、これは少しだけ考え直すことになった。
 まあでも、いずれどこかの切っ掛けで、諸々の話も書いていきたい。ただあまり私の身辺に近くなりすぎる内容については、公開方法を検討したいところ。
 ともあれ、来月以降もこんな感じに、気の向くままに書いていくことにする。
 内容はいろいろ。でも、私自身の好きなことには積極的に触れていきたいと思う。「あのはるに」本当に出逢うまで、私はまだ止まれないから。

 それでは今月末にまた、夢と現の狭間で皆様にお会いしたい。そして皆様の気が向いたら、来月の今ごろ、私がひとりしずかに語る雑談にお付き合い頂けたら幸いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?