【ふたりしずか・別話】 第十夜
# 十二月廿四日
⚫︎??から??への??
目を開けば、見覚えのある場所がまた現れた。鮮やかな総天然色の風景は、あの畦道の先らしい。集落から少し外れたところに、だだっ広い尾芝生の広場が見えてきた。否、ただの広場ではないらしい。青い空と緑の芝の上、等間隔に白い十字架が並んでいる。それぞれの十字架の根元には竹筒が結え付けられ、黄色い和菊が1本ずつ、所在なさげに挿されていた。
見渡す限り同じ光景が広がっていて、私はどこに向かっているのかもわからない。けれど、なぜか確信を持って、一つの方向へと歩いていた。
いくつも並んでいるそれのはずれ、ぽつんと、それだけ浮いたように、小さな白い十字架と、空っぽの竹筒があった。
静かにそれを見下ろしていたら、不意に目の端に白いものが転がってきた。言わずと知れた、和菊である。
切花にしては随分と瑞々しい。そこらに咲いている場所はなかったはずだし、第一ここには私以外の誰かがいるはずがないんだけど。手を伸ばそうとしたら
(拾ってはいけない)
誰かにそう耳元で囁かれ、振り向いた。しかし、誰もいない。
見回しつつ向き直れば、いつのまにか見知った顔が立っていた。
『先輩』
「どう、して」
それ、の唇は動かない。でも、確かにそう呼ばれた。
それ、は、静かな笑みを湛え、足元の菊を拾い上げる。それ、が触れた瞬間、体に妙な痺れが走った。
それ、は、拾い上げた菊の香りを愉しむようにそっと口付ける。体が、痺れる。力が抜け、その場に膝をつく。
それ、は、ゆっくりと近づいてきて、私にその菊を差し出してきた。独特の甘く馨しい香りが、あたりに満ちている。抗いようがなく、まるで操られるように、手を伸ばした。そして、その菊に手が触れる。茎を持てば、不思議と手に馴染んだ。
持った瞬間から、その菊はじわじわと黄色く変わっていく。
あとは、あの竹筒へ、挿すだけ。そこに意思はない。ただ、操られるように、ゆっくりと——
「先輩……!」
今度こそはっきりと誰かの声が聞こえ、急に強く引っ張られる。倒れ込むようにして、声の主に縋りついた。
力の入らない体が無理やり引っ張り上げられる。ぐったりと凭れるように身を預けたのは。
「……え」
声にならない、声が出た。ぼやけた視界に映っていたのは。
「おねがいです、連れて行かないで」
ここにいるはずのない、しかし今までずっと一緒に夢を見てきたあの子が、泣きそうな声で、それ、に向かって言い放つ。
「先輩は、わたしの……」
言葉が途切れる。息が混じり、音にならない。すると、それ、はとても嬉しそうに微笑んだ。
密やかな笑い声が、私の身体を揺さぶる。気がつけば、落とした菊は、それ、の手に戻っていた。色も白に変わっている。小波のような声が、今度こそ、全身から力を奪っていく。けれど、とても心地よいものに包まれるのがわかった。
「……帰りましょう、先輩」
その言葉に、なんと応えただろうか。
ただ、力が抜けていくのと裏腹に、自分の輪郭がはっきりとしてきて。その輪郭に触れる温かな優しい温もりに、身を委せる。
『神の恵みは豊かなれ、愛し子たちよ。なんの不幸もあなたたちに来ぬように……もう、手を離しては、だめですよ』
それは誰に向けたものか。誰とも知れぬ、虚ろな声が響いて、消えた。
夢は、これでおしまい。
彼女たちは、ここからまた再び帰っていく。
全ては十日間の泡沫。夢は現か幻か、塵芥に過ぎぬこと。
されど心がどこに残るか、それは彼女たちだけが知っている。
愛し子たちの、素敵な一夜に倖いあれ。