【ふたりしずか】 「図書委員のしごと。」

 初めは、どこにでもいる真面目そうな人、とだけ。なんとなく委員長っぽい、というのとは少し違う。誰かがなにかで言ってた言葉を借りるなら『特徴ないのが特徴』みたいな。
 次に、なんて不器用な人なんだろう、って思った。これはお人好しというレベルではない。もっと別のものだ。ある意味、大体のことに於いて無関心、と言えるかもしれない。それにしたって、もっと上手に立ち回る方法なんて、いくらでもあるだろうに。
 そう、先輩はあまりにも不器用なのだ。他に言いようがあるのかもしれないけれど、私にはそうとしか言えない。この私から見てもそうなのだから、きっとこの先も、頼まれもしないのに面倒ごとを次々と背負うことになるに違いない。
 それならば。

「——というわけで、前期はこのメンバーで仕事をすることになります」
 さっき自己紹介で『私が委員長です』と名乗った人が話し合いをそう締め括り、副委員長と呼ばれている人が後ろで何かを書き付けまとめている。普段はカウンターの裏側にしまい込まれている黒板は、あっという間に文字で埋まっていった。
 図書委員と呼ばれているこの仕事は、正直学校の中では面倒で退屈極まりないもの、という印象だ。だって週に一回の当番の日は必ず図書室に詰めていないといけないし、だからといってただ居るだけでいいわけでは勿論なく、本の整理やら片付けやら、あとは来た人の対応とかなんかいろいろ。決まった仕事があるようでない。先生に雑用を頼まれることもあるだろう。退屈な時間に友人を呼んで談笑することすら、図書室では憚られる。華の高校生活においては、正直ハズレくじ以外の何物でもない——
 と、そんなことを考えている人が多数なのだろう。周囲をこっそり見回してみると、誰もまともに話を聞いてないのは明らかだった。図書室の一角の閲覧スペースに、私たちは思い思いに座っていて、身体だけは前に向けつつ手元の資料に目を落とす……その実、こっそりその裏に置いたスマホやらなんやらに目がいっているのは間違いなかった。
 そして前に立っている委員長もまた、私たちの方を向いてはいるけれども、何も見ていなかった。あからさまではないけれど、どこか遠い目をしているのがなんとなくわかる。彼女もまた、なにかどうしようもない理由があってあの場に立たされているのだろう、と思っていた。この時は。
 さておき、周囲の様子をこっそり観察したあとに再び前に目線を戻すと、偶然にも委員長と目が合った。

——へえ、こんな顔してるんだ。

 さっきは流し見るだけだった彼女の顔を、今度はつぶさに観察することになる。改めて眺めてみれば、割と整った顔立ちをしているな、という印象に変わった。最近の女子高生には珍しく髪を染めたりしておらず、ただ若干長めのそれせいで少々重たく感じるけれど、全体のバランスは悪くない。むしろ、ちゃんと手入れしたらもっと綺麗になるんじゃないだろうか。
 わずかな時間でもついまじまじと見つめてしまい、不思議そうな顔をされた。誤魔化すように笑ってみる。と、変な顔をして視線を外されてしまった。
「それでは、それぞれの担当の日を忘れないようにお願いします。万一当番の日に何かあれば、私かまたは司書の先生にことづけてください。」
 そう言って、司書の先生に場を譲った。二人が傍に退がり、先生が前に出る。
 正直、その後の眠くなりそうな話は頭に入ってこなかった。横顔になってしまった委員長の顔を、ずっとこっそり眺めていたから。
 隣に座っていた同じ当番の子にそのことを見られていたらしく、会議の後で理由を聞かれたが、曖昧に濁した。だって、その時は私自身もわかっていなかったし。本当の理由がわかるのは、ずっと後になってからなのだから。

 私が図書委員になったのは、各クラスから一人は最低出さないといけない、ということで、くじ引きで負けて押し付けられた。いわゆるハズレくじというやつだ。
 まあ別に本を読むことは嫌いじゃないけれど、正直当番や片付けなんかはめんどくさいな、と思う程度には、わたしは普通の女子高生である。昼休みや放課後は、引きこもっているよりも違うことに時間を使いたい。普通の高校生って、そんなものじゃないか。
 さておき、私が当番を割り当てられたある日のこと。友達と話していたら時間が過ぎてしまっていた。正直そのままサボっても、と思ったけれど、じつは教室もそこまで居心地のいい場所でもなくて。
「ごめん、今日委員会の当番だった。ちょっと行ってくるね」
「えー、マジメなんだー」
 などと揶揄われつつも、図書室へ向かうことにした。
 とはいえ、どうせ誰も来てないだろう。図書室なんて、学校の中ではいつも閑散としてる場所だし、開いてても閉まっててもわからない。司書の先生はいつも眠そうにしているし、別にちょっと遅れたところで何も言われないだろう。
 なんて思いながら図書室にたどり着いた。明かりがついているので、きっと先生が開けてくれたんだろう。きっと準備室にいるだろうし、一応声はかけておかないとな、なんて思いながら扉を開ける。すると、目の前には予想外の人物がいた。
「ああ、来たの」
「……委員長?」
 委員長の当番は週末の金曜日と隔週の土曜日のはず。学校の休み前に整理と点検がどうたら、とか言ってた気がしたけど。今日は水曜日だし、どうして……
「来てくれたんなら、どうせ誰も来ないだろうけどカウンターに居て。私が書架整理と片付けやるから」
「あ、ありがとうございます……じゃなくて!」
 思わず声が大きくなり、委員長に睨まれる。ごめんなさい、と一息ついてから、言葉を続けた。
「今日は当番じゃありませんよね。どうしてここに?」
「別に。私がこっちで本を読みたかっただけ」
「じゃあ、別に仕事しなくても」
「司書の先生なら奥で居眠りしてるわよ」
 それじゃ、と踵を返したその時、何かが、からん、と落ちる音がした。
「え」
 拾い上げたそれは、図書室の鍵だった。
「なんで委員長が持ってるんですか」
 渡しつつ、そう問いかける。なぜか悪戯がばれた子供のように、ちょっとだけ決まり悪そうに鍵を受け取る。そして取り繕うように
「そりゃ、開けたの私だから」
 そんなことを言った。やっぱり。
「やっぱり委員長が開けたんじゃないですか」
「結果としてそうなっただけ。別に不都合はないでしょ」
 それはそうだが。確かに遅れた私が悪いんだけど。
「もう一人の子は?」
 当番は二人一組のはずだ。もう一人の子はどうしたんだろう。
「来てないわ。先週はいたの?」
 いなかった。確かに、彼は先週来なかった。
「ほら、そういうことよ」
 今日遅れた私が言えることではないが、無責任すぎやしないか。それに。
「委員長だからって、そこまでしなくても」
「それ、あなたが言うの」
 返す言葉がない。
「誰もやらないんだから、私がやればそれで済むじゃない」
 どうしてだろう。それを聞いた時に、何かがおかしい、と思った。
 このまま行かせてはいけない、と、書架整理に戻ろうとした先輩の手を、私は引いた。
「……どうしたの」
「それって、何か違う気がします」
「なにが」
「えと、その」
 冷めた目が、私を射抜く。
「ええと、うまく言えないので、手伝います」
 その目に怯みそうになるけれども、どうにか心を奮い立たせてそう言った。
「別にいいよ。私がやるほうが早いから、」
「でも!」
 そんなのは、間違ってる。たとえ先輩の言っていることが正しいとしても、それは間違ってる。
 けれど、どうしてもうまく言葉にならない。俯くしかない。語彙のなさが、恥ずかしかった。
「……わかった。好きにして」
 そんな私を見て、何を思ったのだろうか。ため息混じりではあるけれど、そう言ってくれた。
「……! そうさせてもらいます」
 顔を上げた目の前には、ため息と苦笑いを一緒くたにした変な顔をした先輩がいた。でも、どこか嬉しそうに感じるのは、私の気のせいではないと、思いたい。
 二人で手分けして、書棚を整理していく。慣れた手つきの先輩に比べて私が足を引っ張っているのは否めない。でも、今まであんなに面倒だと思っていた仕事が、初めて楽しいと思えた。

 これがのちに、私の一番大切な人になる先輩との馴れ初め。ええと『馴れ初め』で合ってますよね? 最初の顔合わせは委員会だけど、ちゃんと話したのはこれが初めてだったから。
 結局この日、書架の整理は終わらなかった。私が仕事しながら、先輩にいろいろ話しかけて、手を止めてしまったから。でも、先輩もそこまで嫌そうにはしていなかった。そのはずだ。たぶん。きっと。
 とにかく、私はその日からちょくちょく図書室へ足を運ぶようになった。友人たちには変わり者扱いされたけれど、先輩のことを考えればそんなことはどうでもよかった。
 私が行けば、ほぼ間違いなく先輩はいた。当番の日じゃなくても、だいたい図書室のどこかに潜んでいたのだ。
 本当にいつもいるんだなあ。ほんとに、もう。
 先輩の仕事を手伝いつつ、何もない日はただ本を読んでいる先輩を眺めていたり。帰り道には、先輩が読んだ本の話をせがむ。
 私の高校生活は、こうして大きく変わった。本人は決して認めないけれど、とても不器用な先輩と一緒にいるために。
 だって、先輩以外に誰もやらないなら、私が手伝えばいい。それだけのことでしょう?
 とにかく、私がそう決めた。たとえ嫌だと言っても、先輩にはこれからもつきあってもらうのだ。

 それが、私が不器用な先輩のためにできる、精一杯のことなのだから。

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