天河のほとり
水の流れる音が聞こえた気がして、目を開けた。しかし目の前の風景は、全く無縁なそれが広がっているだけ。水の匂いも感じない。
勘違いだったのかな、と思いながらも体を起こしたら、背中と腰が悲鳴を上げる。鈍い痛みに思わず顔を顰めつつ、ゆっくり立ち上がると体を解すように動いてみた。
ミシミシと軋む音が聞こえてきそうだが、それでも痛みはゆっくり消えた。そりゃ、こんなベンチでつい転寝なんてしていたらあちこち痛むわけだ。と、さっきまで座っていたそこを振りむいて見て苦笑いが漏れた。
それにしても、さっき聞こえた水音はなんだったのだろう。都市の中にある公園とはいえ、噴水や遊園があるわけでもない。大通りからも離れているから、車の音も聞こえない。この時間に訪れる人は当然いるわけもなく、緩い風の音とどこかに隠れている虫の声くらいしか、今は聞こえない。眠気が残っていてぼんやりとした頭で周囲を見回しても、それらしいものは見当たらなかった。
気のせいだった。もしくは、夢から何かが零れたんだろう。そう思うことにして、再びベンチに腰掛ける。申し訳程度にある街灯の明かりが、もう一人の私を一緒に座らせた。
と、再び、聞こえてきた。今度はさっきより、はっきりと。
さわさわと、静かに。けれど確かに、水が流れている音だ。
改めて周りを見回しても、それらしいものは見当たらない。一体どこから。
よくわからないまま、しかし音の元を探ろうと目を閉じる。と、今度は汽笛の音まで聞こえてきた。遠くから、高く、低く。合わせて、巨大な獣が息をするような響きがついてくる。これはまるで——
まさか、と目を開ける。すぐ近くに轟音が迫り、音の源を見上げれば。
天空を横切る大きな河と、その傍らには巨大な蒸気機関車。
星々の隙間を、数多の生き物の間を縫って、客車を曳き走っていた。
ああ、これが。
彼方から果てへと行くという、銀河鉄道か——
遥か彼方に在るはずなのに、私のすぐ横を走り抜けていく。でも、私を連れに来てくれたのではないのだ。それだけは、確かにわかった。
薄ぼんやりとした客車の窓越しに、影が見える。顔は見えなくても、それが誰かはっきりとわかった。
私を見て微笑むその姿、忘れるわけもない。忘れるわけがない。忘れられるはずも、あるわけはない。……そう、やっぱり行くのね。
今更掛ける言葉など、あるはずもない。
でも。それでも。届くかどうかは、わからないけれど。
「遠ざかる親友よ、また出逢おう。だから、別れよう」
向こう側の親友に向けて、手を伸ばす。そうして、再び目を閉じた。
静寂が再び、辺りに戻ってくる。
頼りない街灯が照らし出すのは、小さなベンチがひとつ。
そしてもうひとつ、何ものでもない影が、地に溶けていった。
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