人間関係トラブルの本質の話。
【はじめに】
経験則ですけどね。
表題に「本質」とかいう言葉を使ってるビジネス書とかあーいうの、あるじゃないですか。
あれって、基本的に疑って掛かるべきだと思ってます。
なのでね、今回のこの記事もそれぐらいの温度感と言いますか。
「おん?それはホンマかいな?まぁ、エッセイやし、主観的なもんやろな…」
ぐらいの感じで読んでほしいわけです。
それぐらいの極めて腰の引けた導入から始まる今回の読むコン。
質問箱の方に、異文化コミュニケーションについて入ってたんですが、異文化コミュニケーションというとつい、僕らは半ば自動的に海外の人とのコミュニケーションを連想してしまってる気がしてます。
ところがです。
別に、同じ国の人間であっても、違う家庭で育てば、違う文化を持ちますよね。
僕自身の経験で言えば、たとえば、お箸。
僕の育った家庭では、お箸ってそれぞれのが決まってたんですよね。
ところが、友人の家庭ではお箸って全部同じものを使ってたんですよ。
食堂スタイルというか、誰が使っても大丈夫なようにしてある。
配膳の手間とかを考えるとめちゃめちゃ合理的ですよね。
これって良い悪いじゃなくて、ただ文化が違うだけですよね。
同じお箸文化の国の中にあっても違う。
みそ汁のお味噌。
晴れ着の着付け。
持ち家に対する考え方。
etc…。
ね。共通するものもあるでしょうし、異なるものも間違いなくあります。
そして、それは物事に対する連想に対しても同じです。
AならばBするだろう、という論理構造すらローカルルールなんですね。
お酒を飲むなら、乾杯の時に器を激しくぶつけあうだろう。
これはロシアのルールですけど、同じことを日本の酒器でやったら怒られますね。こぼれるやんけ、ってね。
ここで僕は思うわけです。
全ての人間関係のトラブルの本質って、異文化コミュニケーションの問題じゃねぇか?
と。
相手の持っている文化に対して「おかしい」と決めつけて、相手を理解せず間違えているという前提で行われるコミュニケーションが平和的解決を導くか?
これは多くの場合、NOですね。
基本的に相手の文化と自分の文化の間に優劣はないです。
そこにただ差があるだけです。
ここで重要なのは、相手の文化を知ることで。
人間関係のトラブルって本当にここに尽きる気がします。
なにせ
「君は失礼だな!!」
というフレーズだって
「君は(私の文化に於いて)失礼(な行為を行っている人間)だな!!!」
てなるじゃないですか。省略形の部分をちゃんと補足すると。
そして、失礼だと断じられた側はほぼ2択になるんですね。
・相手の文化を知らなかった
or
・相手の文化を知ってて軽視した
と。まあ後者なら本当に失礼なんだけど←
結局、ここも異文化に対する理解の不足や尊重の姿勢の不足からトラブルになってるわけで。
重要なのは異文化コミュニケーション。
というわけで。
【異文化コミュニケーションとは】
それでは異文化コミュニケーションについて書いていきますね。
とはいえ、今回書く異文化コミュニケーションはあくまで
「ある程度共有できる価値観のバックボーンがあることを前提とする」
なので、そこは気を付けてください。
命を大事にしない、とか、そのレベルの前提の価値観すら共有できていない場合そもそもコミュニケーションを取ることが困難だったりしますから。
2018年のインド領北センチネル島の島民と宣教師の例なんかが良いと思いますが、さすがにここについて書くといよいよ長くなるので、リンク先の記事でも読んでいただけると楽しいと思います。
では、ずいぶんと前置きが長くなってしまいましたが、なるべく簡潔に異文化コミュニケーションとは何かを語ってみると
【相手の論理構造を把握する】
【相手の論理構造の前段にある価値観を知る】
と、なると思います。
僕は肉が好きです。ステーキ食いたい。