手遅れになってからの人生を考えよう
【はじめに】
先日、スペースでも話したのですが、気軽に読み返せるようにしてほしいとの声があったので、改めてこちらでもまとめなおしておきます。
知っている人は知っている、師匠シリーズみたいなとこがあります。
過去の師匠のやつはノートにまとめたやつは
これですね。
ほかにも運の付き合い方とか、神様という概念との付き合い方とか、仕事の進め方とか、人間関係のあれこれとか本当に金を稼ぐという領域においてかなりこう、若いころにボッコボコにしてもらったので、また機会があればまとめることもあるかもです。
【人生、詰んだな、からの話】
昨今、いわゆる無敵の人という、失うものが何もない人が増えているように感じます。
厚生労働省の発表してる数字を追っかけると、このコロナ禍を経て、非正規雇用者の数字は減って、正規雇用者の数は増えてきているものの、依然として厳しい状況というのは変わらないですね。
しかし、収入だけでなく、人生の経験値もそうです。
持っている人と持っていない人の差は加速度的に開く一方で、差を付けられた側がそこからまくって追いつくのは極めて厳しい難易度であると言わざるを得ません。
特に、人生の経験値の部分に関してはまずもう取り返しのつかない要素ですね。
わかりやすいところで言うと、輝かしいスクールライフなんてのはもう絶対どうしようもないわけで。
世の中の多くの人が制服デートの放課後に対して憧れるだけ憧れるだけで、実際に経験しないまま大人になり、そして死んでいくわけです(言い方よ)
社会人になってからもそれは同じですね。
人生において、時間要素だけは本当にどうしようもないです。
それ以外の、収入や今後の人間関係等々はわりとどうしようもあるんですが。
少し、話がズレましたね。
無敵の人の話に戻ると、失うものが何もない人というのは、どうやって錬成されてきたかというと、正直、環境です。
紐解けば紐解くほど、もう何でそんな風になんねん…というエグいビハインドがそこにあります。
彼らと同じ状況に自分が生まれていたとして、自分が今と同じ状況までたどり着けるかというと正直無理だと思いますし、何なら生き延びれるかも怪しい。そういうこともよくあります。
無敵の人、そして無敵の人候補に対して「努力が足りない」的な言説もありますが、アレは本当にあまりに想像力が足りないと言わざるをえないです。生き延びるだけですげえ。という環境は実際問題そこにありますから。
ですが、無敵の人とその候補の人たちが何故「努力が足りない」と言われてしまうのか。ここです。ここは考えた方が良い。彼らが本当に努力をしてないとでも言うのか?僕はそれは違うと考えています。
問題は
『重要な選択を全て間違え続けてしまう』
ここです。ここにあると僕は考えます。
成育歴、経験値、その他ありとあらゆる要素が彼らの重要な選択のシーンにおいて間違いを選ばせて、無敵の人というレイヤーに導いていきます。
そして、現代日本は間違えるということに対して病的に厳しい。
間違えるのは努力が足りないからだ、みたいに考えてるんですね。
違う違う。そんなわけがない。
正解をつかみ取るには、その正解をつかみ取る能力が養われる環境があって、それら環境の多くは本人の努力とは無関係に構築されます。特に人生の序盤に於いては運が100%です。
人間というのは恒常性があります。
故に、エグいビハインドの中で育った人は、自分のその育った環境に戻ろうとします。
具体的には、時間経過でそのビハインド環境から脱出した後にセルフでそのエグいビハインド環境を用意してしまうんですね。
ここで、恵まれて育った人は「自分でその環境を用意してるじゃん、努力不足じゃん」と判断するんですね。浅はかではあるのですが、仕方のないところではあります。なぜなら知らないだけなんですから。
無敵の人は
「それしか知らないから、それに向かう選択肢を快適に感じてそれしか選べない」
というとこから錬成されてしまうわけです。
そして、たどり着くんですね。
あ。詰んだな。もう無理だな。
という、ゴールであり、スタートに。
【詰んだときは詰んでないし、詰んでない時は詰んでる】
トンチみたいなタイトルですけど、真実なわけです。
どういうことかというと、無敵の人に限らず、現状に対して詰みを感じている人は自分で選択できる部分の選択肢をしくじり続けて、その状況にたどり着いています。
つまり、ここから言えるのは
「詰んだという判断は間違っていて、詰んでない」
「詰んでないという判断は間違っていて、詰んだ」
ということですね。
僕は肉が好きです。ステーキ食いたい。