大人の発達障害 その2
「ガチャガチャ」さん (その2)
施設長が、「彼女が発達障害だ」と知っていた事も、後で知り驚いた。
私が包括支援センターに入職時、同時期にもう1人私より少し年上の人で、この人は同僚だったので、指導するということはなかったので、直接的な被害はなかったが、彼の持つ困難ケースが、ことごとく苦情が来て、私がけつ拭きをする事があった。一時彼が持っているケースで混乱に拍車がかかり、包括支援センターの電話が、火災報知器のようにずうっと鳴り止まないという事が起こった。あれは凄かった。電話をかけて来た自分の相談者に「あなたは、間違っているんですよ!」と電話を切っると、ほぼぼぼ同僚の主任ケアマネから、「何言うてるねん!」となった。
同僚の保健師2人も、彼の様子はやばい。ストレスが溜まっていて暴発するかもしれないとか言う。
その人に成り代わって大人の発達障害というサイトで行動や言動を打ち込むと、発達障害である割合の確率が90%で出た。
法人から「受診か、退職か」を迫られ、「私は病院に行く必要が無い」と辞めて行った。
そういう私も小、中、高と、発達障害だったと思う。他者の気持ちがわからず、今でいうADHDという奴だったのであろう。だから、小学校、中学校の同級生に会うのが嫌だ。本当にヤバい奴だったからだ。では何故、私が「だった」と言えるのか?と言えば、19歳の時からめちゃくちゃ悩んだからだ。
このまま、世の中に出るのはヤバいと、自分で内省したからだ。他者の気持ちはどうか?他者から見て自分はどう見えるか、思われるかを考え続けた。もうフリーターの道を走りながら、21歳か、22歳の時に見てもらった手相で、手のひらに無数に皺があり、「あんた、考え過ぎや!」と言われて、他者からどう見えるのかを修正した。
大人の発達障害の治療として、医者にかかるという他に「自己覚知」が重要だとあった。社会福祉士でも「自己覚知」は習う。私は19歳の時に「自己覚知」で治ったのだ。ADHDの素養と、自己覚知で磨いた他者を理解しようとする事で、推察する能力が秀でるようになったと思う。だから、包括支援センターで社会福祉士をやった時は、それが凄く役だっていたと思う。 続く
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