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MARIKOコラム

ご無沙汰しておりました。
東京スタッフのMARIKOです。

今年は私にとってどうやら「変化」「成長」の年で、
日々、人生というものは本当にあっという間に過ぎていくなと、肌で感じている。
そしてまた、私が今まで少しも考えてもこなかった事に取り掛かる事になっている様で。
(2021年は天中殺らしい・・・)

その行為のことを簡単に言うと
「しっかりと感じ、そして考える」と表現していいのか。

そのせいかどうかは不明だけども、本を読むことも多くなった。

借りた本をパッと開けると、そのページにこんな言葉が。
まるで、私が求める答えに導かれるように。。。

「自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。世界が存在するから自分が存在するんじゃない。世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ」


真理は私の中にあるんだ。
外ではなく、内にあるんだ。
私はそれを、これからの一生かけて自分の中に見つけなくてはいけないと本気で思えた。

本来の自分に戻ってきたタイミングで、過去に放った問いの答えや
望んだものが返ってくるんだなぁ。
子供の頃から外へ向けて「なぜ?」「どうして?」が多すぎて、なんとも生きにくかった私が、自分でしっかりと感じ、そして考える事に取り掛かる時が来たのだなと思った。

精一杯、
自分を生きること
自分で感じること
自分で考えること

何がどのくらい、どんなふうに自分の心を震わせるのか。

そうしたことは、決して、誰にも示さなくていい。
他人にとってはどうでもいいことでも、自分にとっては何よりも尊く、重みがある。だから安易に損なわれないよう、口に出さなくてもいい。それが必要になるまでは。

そして自分の人生を、自分のために生きることには、誰の許可もいらない。

至極当たり前のことなのだけれど、気づけば誰かの、そして自分自身からの、許しを待っていることがよくある。

私にとって人との時間には大きな価値があるのです。
感動を共有したり、自分とは違う視点に刺激を受けたり、話を聞いてもらってすっきりしたり……、いわゆるエネルギーの交流のようなものは、ひとりきりでは難しいことだから。孤独はとても苦手だし。


きっと本心に気がつくきっかけは、それぞれの形で、それぞれの人生に転がっていて。ある日ふと、なんの気無しに訪れるものなんだね。

なんだか人生って結局、そうしたことの繰り返しなのかもしれない。

やっぱりアタシ、死ぬんじゃなかろーか(笑)

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