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『シュレーディンガーの男』【第11話】

 現在より二年前。二〇二三年 一月二十二日(犯行から十五日前)
 
 路肩停車中のウィンカー音が車内にカチカチと鳴り響く。その音に合わせ、ワイパーがフロントガラスに貼りつく雨をメトロノームのように右へ左へとかき分けていた。
 滝谷は車の中でスマホを見ながら舌打ちをする。
 メッセージのやりとりでようやく心を開かせたと思っていた中学三年の女の子からSNSをブロックされたのだ。
 やはり「一度会ってみない?」と送ったのが警戒心を煽ったのかもしれない。焦ったのが良くなかったか。まあいい、雰囲気からしてチャラい感じの女だった。もともとチャラくて騒がしい女は好みではない。もっとおとなしめの、素直で従順な少女の方が好みだった。「だったらやはりもっと年下だな……」
 滝谷は窓の外を見た。下校の時間となり帰路に就くの中学生たちが正門からわらわらと出てくる。
(やはり小学生から中学生になりたてくらいのコがいい……)
 滝谷は女生徒たちの膨らみかけた胸、生足を爬虫類のように横目で眺めまわす。女子生徒たちは群れて下校することがどうしても多い。ここでターゲットを絞り、一人になる場所までつけていくか。そうも思ったがどうにもこれといった好みの獲物が見つからない。そうそう取り換えはきかないのだ。ここは慎重に選びたかった。
「それに、この辺りだとやはり自宅から近すぎるか……」そんな警戒心があった。
 東中野に借りている自宅マンションの方はすでに『準備』を整えていた。
 部屋は中からはもちろんのこと、外からも施錠できるようにしてある。しかも外からロックした鍵は室内からでは開くことはできない。部屋は入居時から防音設備のあるものを選んでいるし、中からそうそう叫んでも外には漏れることがないことも確認していた。窓も強化硝子にしており簡単には開かないようにしてある。滝谷の父親はセキュリティ会社を営んでいたのでその辺りは人よりも詳しいつもりだった。
 滝谷は興奮を抑えきれなかった。股間が固くなるのを感じた。が、やはり都内だと発覚の恐れがあると危険信号を送り冷静になった。
「明日は少し埼玉の方まで足をのばしてみるか。朝霞か、そうだな、上尾の辺りまで……」

 翌日、滝谷は上尾にある「桜第一中学校」の正門前で同じように女子たちを物色していた。昨日に続きあいにくの雨だったが傘が視界を隠し、こちらをカモフラージュしてくれるのはむしろ好都合だった。そこで滝谷はまさに自分の理想とする女生徒を見つけた。色白で髪の長い、青い傘をさした女生徒。どこかあどけなくもあるが目鼻立ちもはっきりしていて清潔感もある。まさに「美少女」といっていい女の子だった。彼女が持つ、その真新しい鞄から中学生になりたての一年生だと確信した。鞄の側面には名前を書く札があり、そこにもしっかり書き込みがあった。もっと上級生の女子ともなれば私物に名前を書くなんてことはあまりしないだろう。そして何より、一人で下校をしているところもポイントが高い。滝谷の目にはまるで彼女の上からスポットライトが降り注いでいるようにも映った。
 滝谷は女生徒の斜め後ろに車をつけると、徐行させた。ゆっくり追い抜きながら目を凝らし、鞄の名札をなんとか読み解こうとする。
『佐山穂波』──そう書かれているのが見えた。
(ほなみ……ちゃんか)
 名前も好みだった。
「やっと見つけたよ、ほなみちゃん。穂波……」
 滝谷は用意していた台詞を心の中で復唱する。『穂波……ちゃん? 佐山さんの娘さんだよね? よかった、実はね、お父さんが今、ちょっと面倒なことに巻き込まれててね。少し車の中でお話してもいいかな。もちろん送っていくよ』
 滝谷は町中に備え付けてあるだろう監視カメラを警戒した。近年増えつつあるが、都内ほどではないと感じていた。しかし……。 
(いや、ダメだ!──)
 滝谷は安全策を優先することにした。捕まってしまえば元も子もないのだ。まずは監視カメラの位置をしっかり把握して死角を見つけよう。次もあの娘が一人だとは限らないが、帰り道はおおよそ把握した。焦るな、そちらのチャンスは何度でもある。それに車だって自分の車でなくレンタカーの方がいいかもしれない。少なくともナンバープレートを偽造しておくことは必要だ。
 滝谷は奥歯を食いしばった。信号待ちをしているとバックミラーの中で穂波がこちらに近づいてくるのが見えた。
(穂波ちゃん。待っててね。必ず迎えに来るよ。今度こそ必ず……)


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