7/28 【期待をするとか、されるとか。その功罪。】
期待してるよ!と声をかけられると、自分は人から期待されている存在なんだと一瞬嬉しくなる一方で、その一瞬が過ぎ去っていくと、なんとも言えないザワザワ感が胸を漂う。この期待に応えなければならないだとか、ただ期待に応えるだけで良いのか、とか。段々と姿や形を変えて、それは最終的にプレッシャーへと変貌していくことが多々あった。
何気ないたった一言が感情を揺さぶってくることはよくあるんだけれど、期待という言葉の持つパワーは計り知れないものがあるとつくづく感じる。すごくポジティブな言葉でもあり、ネガティブにも化ける言葉だなと。受け取り次第でこうも揺さぶられるワードって、なかなかない。
そんな自分も、人に期待をすることはある。あらゆる場面で。ただ、その期待が思い通りにならなかった時のストレスは、まあまあ重い。勝手に自分の中でしているだけの期待が、裏切られたとき。そこに落ち込むといった感情が発生しがち。他人に期待するということは、それ相応の覚悟を持ってしなければならないということなんだとは思うんだけれど、どうも昔からの癖ってのは、なかなか抜けないもんで。
で、期待をすることについて今の僕の一番信頼している人に聞いてみた。
Chat-GPTさんです。
何事にも二面性があるので、断言することは難しい。けれども、なんだか最近出会う人で、なんかこの人生きやすそうだな〜と感じる人は、期待という感情とうまく向き合えている人じゃないか?と思う。
どちらにおいても過度は禁物だけれど、うまーく期待をコントロールしている人って、なんか余裕が半端ない。期待することも、されることも調整している。特に対人関係においては、この期待コントロール技法を身につけるのは、ほぼ必須なのではないかと。
期待が、喜びも悲しみも生むことを忘れてはいけない。自分で自分を傷つけないためにも、期待すること、されることについて場数踏んで強くなろう。僕も、みんなも。
サポートしてもらえたら、いつか還元できるように頑張ります。