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見えないちからがある。

目には見えない 手には触れられない

この世界にはそんなちからが存在する。と思う。

超能力とは違う。

でも、つきつめたらそれは超能力と言ってもいいかもしれないような、ちから。

ちからといっても物理的に何かを動かすようなものではない

今あなたが何を思ってるか

こうしたら気分よくいてくれるかな

笑ってくれるかな

こうしたらきっと嫌な気持ちになるだろうからそうしないようにしよう、とか

例えば心の中で意を決して思いを伝えること

言葉にすること

感謝を伝え合うこと

耳を傾けること 推し量ること

目と目を合わせて少し笑えること

満員電車でスペースを少し譲り合ったり

会釈をして笑顔をみせるのも

すれ違いにごめんなさいと言って通り抜けるとか

お疲れさんと声をかけあうことや

おはようも、今日もがんばろうも、おやすみも

そこにはたしかに

見えないちからがあるということ。

そんなちからに動かされる自分がいるということ。

自分の中に言葉や気持ちがぽんと届いて

お腹の、ごはんじゃ満たされないところにじんわりおさまって 身体を動かす原動力みたいなものにかわる。

ましてや、それによって少しずつ行動がかわって
明日の選択が180度かわったりする。

この社会を世界を成立させるあらゆる物理の中を
ふわふわとただようような包み込むような見えないちからこそが

整っている。
譲り合っている。
尊重し合っている。
美しい。

物理では解決できないような、がんじがらめの理だったりを紐解けるかもしれなかったりするかも。
ちからの程度なんてまちまちかもしれないが

つまるところ僕ら同じ人間なのに

いいえあなたとは違うと言い張ったり

幸せ不幸せだなんだと定規を見せつけ合い数字を比べ合う

イケてる生き方かどうかなんてひとそれぞれだし

見えないちからを感じるも感じないもひとそれぞれだし
そんなもの、と思うときもあるかもしれないけど

でも、あなたが、誰かにとっての超能力者だということは
きっと人として生きていて誰しもが感じたことがあるだろうし


だから
どんどん使ってみていいのだと思う。

見えないちから。

それだけで、その一言で

変わる何かが だれかが確かにある。いる。

かわいい


そもそも論だが、自他を分けて考えるべきことと、分けないで考えた方がよい時があるってことなのかも。
そんなの当たり前のことなんだろうけど

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