公共スペースで芽生える当事者意識
パートナーシップを専門分野とする組織コンサルタントのHOSUです。
昨日は、東京駅近くのホテルに宿泊していました。最近は、カプゼルホテルといっても、キャビンタイプの個室のものもり、トイレや浴室は共有ですが、夜寝るだけのわたしとしては、満足のいくホテルでした(駅近&リーズナブルなので、外国人旅行客の方も多い)。今日は、そんなホテルで気づいたパートナーシップについて書きます。
タオルのリネンボックスが・・・
大浴場とかだと、バスタオルやタオルをクリーニングに回すためのボックスが置いてあるんですが、今朝は、そのボックス内の袋がきちんとセットされていなくて、グチャグチャになっていたんですね。
さすがに、わたしがそれをセットするのは気が引けたんですが、さすがに見て見ぬフリをできないなぁと思いまして、その場でフロントに連絡しました。
「タオルを入れる袋がきちんとセットされていなくて、ぐちゃぐちゃになっているので、整えられた方が良いかと思いまして、連絡しました」
「そうですか。では、あがります」
こういう格安ホテルの従業員は、日本語もできる外国人の方がいらっしゃるんですよね。外国人旅行客も多いですしね。なので、「そうですか。では、あがります」と受話器越しに聞こえた声は、面倒くさそうな返事に感じたんですが、それは日本語のムードの問題に過ぎませんでした。
「こちらのタオルが」
「あ〜ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます」
こんな風にすぐさま対応してくれました。チェックアウトする時にも、「先ほどは、ご連絡いただきまして、ありがとうございました」と丁寧にご挨拶をいただき、お互いに気持ちのいい時間となりました。
「トイレのスリッパ並べろよ」
トイレも共用でしたので、トイレに入ると、スリッパがこっち向き(出口にスリッパが向いてる)に脱いであって、「なんやねん!次の人が履きやすいように、並べろよ!」って、心の中で思いながら、次の人がスリッパを履きやすいように並べ直しました。
で、このタオルの件と、トイレのスリッパの件で、思ったんですよね。
自分の目の前の出来事を、「自分には関係ないや」ってするのは簡単ですよね。自分の都合がいいようにスリッパも脱ぎ捨てられるし、タオルのことなんて、みんな気づいていたと思うけど、それはホテルの従業員がやることだからって見て見ぬフリをすることも、難しくないですよね。
ただ、もし自分がホテルの従業員だったとしたら、「うわ〜なんやねん、これ」と、お客さんに腹を立てるかもしれないし、そのリネンの回収袋をきちんとセットしなかったかもしれないスタッフに腹を立てるかもしれないなと、思ったんですよね。
そうすると、そこで抱いた不快な思いをもったまま、仕事に戻ったら、どこかでイライラを関係ない人にぶつけてしまうかもしれないなとも思うんです。
ホテルの従業員が心地よく仕事をする上で、わたしが問題が起きていることを伝えて、その従業員がそれに応えて、お互いに感謝を伝え合うというパートナーシップを発揮したことは、その方がそれ以降に接する人とのパートナーシップにも連鎖したんじゃないかなと思うんですね。
自分以外の「誰か」を思いやる
トイレのスリッパなんかは、まぁ、行儀が悪いとかそういう問題で片づけちゃうのも簡単だけど、誰がはくかわからないけど、次の人のためにわたしはスリッパを並べ直したんですね。
こういう自分以外の「誰か」を思いやることって、その「誰か」って誰だか知らないけど、その人とのパートナーシップだよなと思うわけです。その「誰か」に自分を置き換えてみることが、ある種の当事者意識でもあるなと思うわけです。
パートナーシップというと、夫婦関係や同僚との関係など、親しい関係にある1対1の関係性のことと捉えている人が多いように思いますが、わたしは、自分以外の「誰か」とのパートナーシップも含んでいます。
これは、以前投稿した「雑踏はパートナーシップにあふれている」でも書いた通りです。
そして、これは同時に、「見て見ぬフリが、結局、あなたを苦しめる」でも書いたように、自分自身とのパートナーシップを組むことにもつながりますから、実は、自分以外の「誰か」のためであると同時に、自分自身のためでもあります。
ささいなことですけど、こんな風に、日常的にパートナーシップに生きていると、気づくことがたくさんあり、今日は朝からホテルで考えたことから探究してみました。
記事に価値があると認めてもらえることは、何より嬉しいですし、とても力づけられます。いただいたサポートはパートナーシップの価値が大きくなる使い方につなげます。