「起きている反応が、すべてじゃない」と踏まえるだけでいい
日本中の人々が、日ごろの体験に引き当てながら「パートナーシップ」について深められるフィールドとして、noteマガジン「パートナーシップを磨く」を発行しています。パートナーシップのあるコミュニケーションが日本中に広がり、イキイキと働く人が増え、しあわせに生きられる人を増やすことを目指しているコーチ&トレーナーであるHOSUです。
連投84日目。
長い年末年始の休暇が明け、今日が仕事始めという方もいらっしゃることでしょう。
中には、「仕事いくの面倒だな」という反応が湧いた人もいるでしょう。そして、面倒だなが湧きつつも、仕事に行きますよね。
そう、「面倒だ。だから、仕事に行かない」とはなってないわけです。「面倒だ。そして、仕事に行こう」となっているわけですから、反応=その人の選択ではありません。
ところが、わたしたちは相手から次のような反応が返ってきたら、とたんに「だから、◯◯するに違いない」と相手の選択を決めつけてしまいがちです。
・「めんどくさいなぁ」と言えば、「だから、やりたくないと言うに違いない」
・「仕事辞めたい」と言えば、「だから、実際に仕事を辞めると言い出すに違いない」
・「ハァ…」とため息をつけば、「だから、面倒だなと感じているに違いない」
たしかに、こういう結論に行く確率は高いかもしれませんが、必ずしも順接的ではなく、逆説的な場合も少なくありませんよね。
・「めんどくさいなぁ」と言ったけど、テキパキと仕事をこなす
・「仕事辞めたい」と言ったけど、決められた仕事をしっかりやりきる
・「ハァ…」とため息をついたけど、作業の手を止めずに進めている
こうした内面で起きている反応(「めんどくさいなぁ」「仕事辞めたい」「ハァ…」)を、言葉や行動で表に出すだけで、その反応から離れられることってあるものです。
逆に、その反応を表出した言動に対して、対処をされるとどうなるでしょうか?
・「めんどくさいなぁ」◀︎「何がめんどうなの?」
・「仕事辞めたい」◀︎「そんなこと言わずに」
・「ハァ…」◀︎「そのため息は、なに?」
こんな風に対処されると、湧いていた反応に余計にとらわれすぎてしまうということも起きます。
『自分に起きた反応を、そのまま持ち出せるかどうか』
対処される相手には持ち出せません。対処する人は、順接的にしか物事をとらえないため、ある意味、決めつけたコミュニケーションをしがちですからね。
パートナーシップがある関係性であれば、自分に起きた反応を持ち出しても安全だと感じられるので、持ち出しやすくなりますし、反応が順接もあれば逆説もあるから、その後の選択を待ってもらえるとうい安心感も感じられるでしょう。
反応は反応に過ぎません。
いかなる反応にも、善し悪しはありません。
重要なのは、「反応の後に、どんな選択をするか?」です。
にもかかわらず、反応に善悪をつけ、自分で「こんなことを思っちゃいけないし、いっちゃいけない」「顔に出しちゃいけない」という具合に、自分自身を抑制するクセがついてしまうのは、他人との比較や評価にさらされ続けていることも一因でしょう。
もう一回言います。
反応は反応に過ぎません。それは「あなた」ではない。
「反応の後に、どんな選択をするか?」の中に「あなた」がいるのです。
パートナーシップのあるコミュニケーションは、こういうとらえ方の延長線上に広がるものです。