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これからの世界

2024.7月にサボった分
ぺぎんの日記#152
「これからの世界」


世界は目まぐるしく変化していく。ときには大衆の感情を待ちながら。ときには大衆の感情を無視しながら。

量子コンピュータの出現によって、遅れていた実験科学が大きく進歩する。芸術の飽和によって、見たことも無い芸術が台頭するようになる。人類が皆、最適化された同一の言語で会話をするようになる。

今ある予測の、どれが本当になって、どれが実現されない予想となるだろうか。

世界中であらゆる変化が同時多発的に起こるこの時代に、未来の正確な予測なんてすることはできない。できる予想と言えば、例えば1年後に全ての仕事がAIに奪われることは無いだろうとか。

たとえそれが最善だと知っていても、そこに人間の感情が追いつか無さそうな変化。それはおそらく無いだろうと予測できる。結局、人の感情問題が大きく関わってくるような変化は、長時間をかけないと起こり得ないだろうという予想だけができる。

でも、そう考えるとなんだかもどかしい。技術や芸術や人の生活は、人を置き去りにして変化してもいいんじゃないかと思うときがある。変化に置いていかることで生まれる、新しい感情、新しい文化。ちょっと面白そうじゃない?

人のために変わってきた世界。それがいつの間にか、人を置いてひとりでに変わっていく。SFや映画の世界じゃなくて、それが現実で起こるということ。目まぐるしく変化する世界に恐怖をおぼえる感情とは裏腹に、そういう世界にワクワクする感情も、確かにある。

ここから100年。世界はどう変化していくだろう。私が死ぬまでに、映画で見たような世界は訪れるのだろうか。はたまた全然予想の範疇に無かった世界が見れるのか。

今でさえ、世界の歩みについていけないのに、どうせなら1日ごとに世界の常識が入れ替わってしまうような、そんな早回しの世界を生きてみたい気もする。

私にはその仕組み、理解できない。ごめんね。私が足を引っ張ってるんだよ。だからもう、私を置いて行っていいよ。私なんかを待たないで。私は置いていかれたなりに、この世界を楽しめるはずだから。

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