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私がnoteを書いていたわけ

私のnote記事「ぺぎんの日記」は、一貫して記憶の記録場所であった。

書きたいから書いているというより、書かなければならないから書いていた。忘れてしまう色々の感情や情景、それらを保存しておく方法が、noteで記事を書くことだった。

忘れたくなかった。大人になっても、高2の私の記憶を大事に持ち続けていたかった。だから書いていた。

全ての記事において、直接的に思考が書き連ねられていたわけではない。けれども、例えば繊細な感性で文章を書いているときは、落ち着いて毎日を送れていたときだったり、誰かについての文章を書いているときは、その人に興味を持っていたときだったり。私が書いた文章だから、私が読むと、そういったものが文章から溢れ出して見えるのだ。

では、そんな大切な記憶の保管場所であるnoteの更新が、なぜ止まったのか。それは私に、彼女ができてしまったからである。

謝らなければならない。私の記事を、私のことを女子だと思って読んでくれていた全ての人に。私は、男性である。性自認が女性とか、そういうわけでもなく。体が男性で、女性を好きになる、ヘテロセクシャルの男子。

女子の真似事をしていれば、男子のままでは書きづらかったことがいとも簡単に書けた。逆に女子の設定で書かなければならないことに苦戦したこともあったけれど、それでもやはり女子のフリをし続けたほうが書きやすかった。だからそんな関係で、私の記事は必ずしも実話が書かれているとは限らない。都合よく物語を改変して、「女子を演じる私」視点に立ったときに書きやすいようにしたものが複数個ある。

ここからは一人称を「僕」にしようか。

そんな詐欺師の僕に彼女ができてしまった。

彼女とのLINEは不思議だ。そして多分特殊だ。ずっと誰かに話したかった、でも「ちょっとよく分からない」と言われてきた、自分でもよく分かっていないような話。そんな話ばかりがネタになる。本当はずっとnoteに書きたかったのだけれど、書くだけの力を持ち合わせていなかったようなネタ。そんなものが、彼女とのLINEでは形になっていく。お互いに面白いことを考えていて、その面白さに少し足りないところをお互いが埋め合っているような会話。僕は彼女とそんな会話ができてしまうことを知って、noteを書く意味を見失ってしまった。

noteにつまらない話を書くなら、彼女につまらない話をして「つまらない」と言われたい。noteに身の丈以上の文章を書くくらいなら、彼女に「どう思う?」と尋ねたい。彼女とのLINEが、僕の思考が深まる場所で、かつ思い出の記録場所になってしまった。彼女には嘘を付く必要がないことも大きかった。好きなだけ本音の話ができる。

というわけで、僕はnoteを書かなくなる。半年前に365日続けると宣言して始まったnoteの継続に、まさか彼女ができるという障壁が現れるなんて思ってもみなかった。比較的毎日頑張ってきたものだったけど、終わってしまうとあっけないもので、そこは少し寂しかったりする。

また多少の動きはあるかもしれないが、とりあえず「ぺぎんの日記」とはさようならである。

読んでくれていた方、全てが身勝手で本当にごめんなさい。
大人になった僕へ。日記はおしまいです。LINEをご参照ください。

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