自分の評価は、相手にお任せする
だれからも嫌われずに生きようとしていたことがある。
もうずっと前の話だ。
ある時、決して自分の意見を曲げない人と出会った。
人からどんなに勧められても、やりたくないことはやらない、言いたくないことは言わない。人の意見に従うことに、何かトラウマでもあるのですか、と聞きたくなるほどだった。
彼はとても魅力的な人だったのだけれど、それはそれは徹底して自分を貫く人だったので、恋人ともよくケンカをしているようだった。
私たちはその日、高田馬場で焼き鳥を食べていた。彼は同棲中の恋人と冷戦中で、家に帰りにくいのだといった。
「自分が悪くなくても、とりあえず謝る、とかさ、そういうことはしないの?」と聞くと、その人はこんな風にこたえた。
「僕は、いろんな理由があって今の僕なんだ。相手に合わせて自分を曲げることはない」
「僕の恋人が、こういう僕を好きでいてくれるかどうかは、もう相手にお任せするしかないよね」
なんて真っ当な人なんだろう。と思った。
恋人だろうが友達だろうが、相手が自分を好きでいてくれるかどうか、それは相手が決めることだ。自分に決められることじゃない。
いくら誰かに好かれようと頑張ったところで、それが相手の目にどう映っているか、自分のビジョンからは絶対に確認できないのだから。
みんなに優しくしても、みんなが「みんなに優しい人」を好きだとは限らないし、そもそも「好かれる」というのは結果であって、目的ではない。
自分にできるのは、潔く生きることだけ。
誰かのために自分を変えるのが嫌なら、変えなければいい。変わりたければ、変わればいい。それは自分が決めること。
そしてそんな自分をどう思うか、それは相手が決めること。
「自分の評価は、相手にお任せする」、実はこれが私のルールその2。
(その1はこちら)
このルールを思い出すとき私はいつも、焼き鳥屋の喧騒と、ちょっと寂しそうな彼の顔を思い出す。
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