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兵庫県立美術館での安井仲治展

2月上旬、兵庫県立美術館で開催された「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」を見てきた。彼の事を知ったのは雑誌、PHaT PHOTOとPHOTOGRAPHICAに写真が載っていたのを見た時だった。雑誌を読んだのは今から10年以上も前で、読み直すこともあまりしなかったからか、彼について書かれていた内容は部分的にしか覚えていなかった。名前と数点の写真だけ知っている状態だったが、写真展を見に行ってきた。


安井仲治、1903年に大阪で生まれ、1942年に38歳という若さで亡くなったアマチュア写真家。写真が撮られた年代は1922年から1942年まで。古いものだと今から100年以上も前だ。気になった写真をいくつか載せていく。

1930年代の安井仲治
『雨もよひの日』
『スケッチ』

「仁丹」や「花王石鹸」など当時の企業ポスターが写っている『雨もよひの日』や色んな職業の名前が書かれている雇人紹介業の家の前で撮影された『スケッチ』などの写真を見ながら、今、自分がいる時代の事を考え、これらの写真から時間の流れを感じていた。

『斧と鎌』

石段の前に置かれた斧と鎌。彼は初めは撮る気がなかったという。何気なく触って動かしていると面白さを感じたらしく、撮影したそうだ。自分にとって安井仲治の写真と言えば、この『斧と鎌』だ。前述した雑誌にこの写真が載っていて、影の形がとても印象に残った。あと作りがシンプルな所も好きだ。

展示室
トリミングの形跡
『平野町』
『(凝視)』
『(フォトモンタージュ)』
『モニュメント』

彼の写真は日常風景から人物、静物、時事的なもの、そして大胆にトリミングされたもの、多重露光で制作されたもの、フォトモンタージュなど実験的なものまであって、(この人はなんでも撮っている。色んなやり方で表現している)と写真表現のバリエーションの凄まじさを会場で感じていた。
                                                  また自分の理解力が無かったせいではあるけど、1937年の「朝鮮集落」や1941年の「流氓ユダヤ」の作品については、見ただけでは中々その写真の意味や伝えるもの、時代背景について理解することが難しかった。日常風景や静物の作品とは見る時の意識を変え、時間をかけて、知識をつけて見直す必要がありそうだった。


展示室の壁にあった彼の言葉。その言葉を意識付けして撮って行けるかはわからないけど、とても励みになる言葉ばかりだった。


写真展を見終わってから、持っていた雑誌の記事を読み直してみた。(写真展を見に行く前に読んでおけば、さらに内容を深く理解できただろうけど、まぁ帰ってきてからのんびり振り返るもの悪くはない)捨てずに残しておいて良かった。彼について書かれた部分を少し載せてみる。

いちばんの根底には確実に安井仲治がいる。本当にそう思うよ。

戦後のあらゆる写真と写真家の要素は、すでに安井仲治が全部持っていると僕は思う。(森山大道)

PHaT PHOTO 2009年1月-2月号
知りたい写真家 file13 安井仲治

光田:戦後の土門拳は安井仲治から出発したと私は思っています。
野口:土門さんが安井さんの本を持って帰って、全部複写したって話がありますよね。
光田:そういうふうに話は伝わっていますね。『安井仲治写真作品集』を見たわけです。実際に土門さんも書いてます。興味を持って昔の『アサヒカメラ』等の雑誌を調べて、安井作品を探したと。

PHOTOGRAPHICA 2011 SPRING VOL.21
(光田由里×野口里佳 対談 日本の近代写真について話す)

写真家として活躍したのは短いけれど、森山大道や土門拳などの写真家に多大なる影響を与えた安井仲治。様々な被写体と表現が詰まったとても濃い写真展だった。

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