森山大道展と中平卓馬展 ~久しぶりの東京~
2023年、島根での「森山大道 光の記憶」を見た後に、神奈川で「挑発関係=中平卓馬×森山大道」があるのを知ったけど、見に行くことはできませんでした。それから少し経って、2024年に東京で「中平卓馬 火―氾濫」が開催されることを知り、これは何としてでも行かないと思い、久しぶりに東京に行ってきました。
最初に向かったのは森山大道の個展が開かれているAKIO NAGASAWA Gallery GINZA。
■森山大道 個展「TOKYO」AKIO NAGASAWA Gallery GINZA
一点だけでもインパクトがあるのに、こうして展示になるとさらに作品の凄さを感じます。
その後、竹橋駅に移動して、歩いて東京国立近代美術館へ。美術館の前には寒緋桜(カンヒザクラ)が咲いていました。カメラを取り出してしばらく撮影タイム。冷たい風が時々吹いていたけど、晴れて良い天気だったこともあって、ジョギングしている人が多くいました。
■回顧展「中平卓馬 火―氾濫」 東京国立近代美術館
雑誌の編集者であった中平は、東松照明との出会いを機に写真を撮るようになります。そして「写真はピンボケであったり、ブレていたりしてはいけないという定説があるが、ぼくには信じがたい」と宣言し、それまでの固定観念に対峙する姿勢をみせ、1968年に写真同人誌『PROVOKE』でいわゆる「アレ・ブレ・ボケ」の作品を発表するようになります。しかし、1973年にはそれまでの作風を自己否定し、詩的なもの、内面的なものを感じさせないような被写体をありのまま写す図鑑的な写真を撮るようになります。作風を変え、それまでに撮ったネガやプリントを焼却してまで行った自己否定。「写真」に対する姿勢の凄さが窺えます。その後スランプに陥り1977年に急性アルコール中毒により倒れ、記憶の一部を失ってしまいます。それから数年後、写真家として復帰し、撮影を続け、作品や写真集などを発表します。
『サーキュレーション―日付、場所、行為』についての解説動画
豊富な資料(雑誌の文章)や複数の写真で構成された過去の展覧会への出品作など、編集者、写真家、写真評論家としての中平の活動歴を追えるとても良い内容でした。
日が暮れてからは新宿にあるphotographers' galleryに向かいました。中平のドキュメンタリー映画『カメラになった男 写真家 中平卓馬』が上映されていたからです。この映画は以前、大阪で2回見た事があったので鑑賞するのはパスしたけど、チラシが置いてあるかもしれないと思って、行ってみました。(思った通り、置いてあったので入手)
■ドキュメンタリー映画『カメラになった男 写真家 中平卓馬』
監督 小原真史(こはらまさし) 2003年(2006年 初公開)
この映画を最初に見たのは、2010年に大阪のgallery10:06と言うギャラリーで行われた上映会でした。(現在は閉館)2回目は2019年に梅田・蔦屋書店で行われた上映会とトークイベント(小原真史監督×写真家・勝又公仁彦)の時でした。メモを取らなかったので、トークイベントで話された内容は忘れてしまった部分が多いですが、確か小原監督は中平と親しい仲であった写真家の牧子剛に触れて話をしていたのを微かに覚えています。イベント終了後、物販でPROVOKEの復刻版が置いてあったので購入しました。
中平卓馬を知ったきっかけは、NHKの番組「犬の記憶 ~森山大道・写真への旅~」(2009年)を見た時でした。この中で森山がPROVOKEに参加する流れの中で中平の事が紹介されました。そして森山と一緒に過ごした時の事をスタッフに聞かれて、答えていたり、日課としている自転車に乗って撮影に出かける様子も映されていました。
番組のインタビューで中平がスタッフに蛇の写真が載っている図録(2003年に横浜美術館で開催の「原点復帰─横浜」のもの)を見せて、蛇が大きかったことや周りに子供たちがいて、その子供たちから「蛇のおじちゃん」と言われるようになったことなどを話していました。『カメラになった男』では、この蛇を撮影中の中平の姿が映されていて、あの番組で話していた蛇の写真はこの時のものだったのかと、強く印象に残る場面でした。また映画の冒頭、「ショートホープを吸い続けています」と言う中平の台詞があります。今回の展覧会では「中平卓馬の日記」のコーナーでショートホープが展示されていました。作中、ショートホープに単語や日記のようなメモを書いている中平の姿を浮かべながら見ていました。この映画は中平の撮影中の自由な姿、(東松照明展「沖縄マンダラ」記念シンポジウムの舞台上で)マイクを手にして語る熱い姿を見ることができるとても良い作品でした。
○中平卓馬の縦写真
『カメラになった男』の中で中平が写真を撮る姿を何度か見る事ができます。そのときに注目するのは、その手順。彼は始め、カメラは横のままで被写体にレンズを向け、ファインダーを覗いて手動でピントを合わしています。それからカメラを縦向きにしてからシャッターを押しています。
始めから縦の写真を撮るつもりなら、ピントを合わすのも縦向きのままでやっていいと思ってしまうのですが。縦向きだと撮影しにくいから、ピントを合わすのがやりにくいから、腕が疲れるからという理由なのでしょうか。
それとも何か考えがあって横向き→ピント合わす→縦向き→シャッターを押すという流れにしているのでしょうか。そしてこの手順はいつごろからなのでしょうか。急性アルコール中毒で倒れる前から縦写真を撮る時はこのような手順だったのでしょうか。それとも倒れてからなのでしょうか。(まぁおそらく、特に深い意味はないと思うのですが。えっと、独り言のような文を書いてみました)
■東京で撮影した写真(有楽町駅前、高円寺周辺)
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