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めんどくさいが口癖

お勤め時代のある時。
席替えがあって、新しく私の席の前になった子が時々笑うんです。
ん???って思ってたら

「めんどくさいって口癖ですね」

と言われました。

私、言ってるらしい。めんどくさいって!!

気づくと、言ってる言ってる。

ちょっとそれるかもですが、
ゴールや目的、意味を聞いてからの説明じゃないと
仕事のやり方とか聞いてもぜんぜん頭に入りません。
なんのためにやるのか?がとても気になります。
だから
やる意味がないと思う事(たとえ私だけが思うとしても)は
めんどくさい=やりたくない
となります
今から思うと、やりたくない事だらけだったのね
でも、
口癖は出るけど
やりたくないと思っているなどと知らずに

一生懸命頑張っていたと思います。

そんなことを考えていたら、母の言葉を思い出しました。

わたし、幼稚園時代、あさ、制服に着替えるのがめんどくさかったらしく、
自分では(やれるのに)やらないから、母が手伝ってくれてたらしい。
「めんどくさい」って言ってたらしい。
「どうして、また家に帰ってきたら着替えるのに、わざわざ今これを着なければいけないのか」ということを
毎日着替える度に言っていたらしい。

多分、うそでも、こういう理由と言ってくれてたら仕方がないと思えたかな?文句言いながらも着替えたかな?

仕事の時は、文句言いながらもやってたもんな。

あ、
いつもこういうことを考えると極論に思考が飛ぶ。
なんで着替えなきゃいけないのか?

生きる意味、幸せとは?
みたいな。

仕事をしていた時、最後、どうしても許せないことがあった。
解せないことがあった。
他の事はがまんしてあきらめてこれたけど、これだけな無理ってことがあった。
その瞬間は、あきらめてそうするしかないと思っていたし、そうしていたけど、
自分の中の自分が「本当はやりたくない!」って言った。
※抽象的でごめんなさい。めんどくさいからやりたくないって思ったのではないです。

子どもの時、着替えたくなくて文句を言ってた自分は、
本当の自分、本当の気持ちに気づいていたのかな。
生きてく中で
どうして自分の気持ちを封印しちゃうんだろう。
それが大人になるってことだと思ってたのかな。
社会をあきらめてたのかな。

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