〝河童が見える子〟の感性が否定されない社会へ〜100BANCHさんのワークショップに参加して見えたビジョン〜
本日、渋谷にある100BANCHさんで開催された、自分自身のビジョンやミッション、それを具現化するきっかけをつくるワークショップに参加させていただきました。
これまで没頭してきたことや感動したこと、意義深い体験、実現したい未来についてなどをペアでインタビューし合ったり、イラストや40字以内の言葉でビジョンを表したりする中で、1人きりで内省するだけでは決して生まれなかった様々な気付きが生まれ、今もなおほくほくしています。今回のブログは、私自身の指針となるように、アクションを起こす時に名刺代わりになるようにという思いで、勢いそのままに綴りました。
今回のワークショップを通して気付いた最大のポイントは、私自身の中で「河童との出逢い」が原体験として心に残っているということ。
これまで「河童を見た」話は様々な場で語ってきました(それと同時に反応を観察し、「この人(たち)と本当に仲良くなれるかどうか」を判断していました)。けれど、仕事やワークショップ、ささやかながら行なっているツール作りと「河童」とは、どこか切り分けて考えていたように思います。また、実現したいビジョンを語る時には、「子ども(たち)」や「社会」などといったものを主語に据えており、そこに私自身を想定することなんてもってのほかだと思っていました。もちろん子どもと関わる仕事やワークショップ的なことをこれまでしてきた(現在進行形でしている)ため、見立てや想像、空想、ファンタジー的世界の大切さや異種混淆的な学びや育ちの重要性(それが実現していない日本社会への危機感)について日々考えており、薄らぼんやりと「まぁ、考えようによっては私自身の河童体験とも結び付くかもなぁ」と思ってはいましたか、今思えばそのレベルの熱量だったように思います。
けれどワークショップを通して、
・「沢」「河童」だけでなく、「原風景」や「ツチノコ」(「ツチノコ」を考えるだけでわくわくしてしまう感覚、なんとなく日常の中に探してしまう感覚、本気で探している方々の純粋な眼など)というワードが自分の中から生まれてきた
・よくわからないけれど、『ナルニア国物語』の演劇を観て、本気で異世界へ行けないものかと何度か押し入れに入ってみたことを思い出して懐かしい気持ちになった
・河童はいるのか/いないのか、その体験は「嘘」か「本当」かという二項対立的観点から質問されたり議論されたりすることへの違和感や疲弊が込み上げてきた
・「河童を見た」という話が拡がったために、弟が私の同級生たちにいじめられた悔しさや悲しさを思い出した
・こうした二項対立的観点を越えてその体験を大切なものとして捉えてくれた母や周りの方々の存在のありがたさ、わくわく感を分かち合えた時の喜びを改めて感じることができた
など、次々と自分の内側から湧いてくるリアルな感情に出会うことができました。そしてついに
「〝河童が見える子〟の感性が否定されない社会へ」
という、今まで自分が生み出したことがない明確で鋭い言葉が生まれたのです。これには正直びっくり。借りてきたものではなく、正真正銘私自身(私の中にいる子どもの部分)から生まれたもの。その生々しさや尖り具合、強すぎるクセに、なんだか愛着が湧いてきました。スピリチュアル的な表現ですが、「そうだ!これを実現するために私は生きているんだ」というミッションに出会えた気がして、全身からエネルギーが沸き起こるような感覚を覚えました。
こうなってしまったら、あとは湧き起こるままに問いやアイディアを出しまくるのみ。
・空想とリアル、本当と嘘、子どもと大人などの二項対立的境界線を曖昧にするアプローチとは?…レッジョ・エミリアの「百の言葉」と繋がる!
・ぬいぐるみ、CG、写真、音、文字情報…どのアプローチなら、この二項対立的境界線をぼやかすことができるのだろうか?
・リアルっぽい質感?感覚?って、どこから生まれるのだろう?なぜ河童やツチノコ、民話は〝バズった〟のか?…アクター・ネットワーク理論やニューマテリアリズムへの関心と繋がる!
・(スタッフの方々との話の中で)なぜ超能力やスピリチュアル的なものは胡散臭がられるのに〝かめはめ波〟は認められるのか?なぜ「河童を見た」という証言は疑われるのに、アニメや漫画の「河童」は受け入れられるのか?
…
探究したいこと、実験したいことがわんさか溢れ出てきました。そして、ワークショップ後にカニグズバーグの『ドラゴンをさがせ』という物語を思い出し、「アンディー的な感性が否定されず、大人たちの中にある(と信じたい)エディー的感性がいつまでも大切にされ、両者が出会い、創発的に育ち合う社会を実現したい」というイメージが湧いてきました。
また、スタッフさんとのお話の中で「サンタクロースが『いない』と知るよりも、サンタクロースがいるって思う気持ちを持っているほうが幸せを感じる」という話題になり、ふと仲間由紀恵さん・阿部寛さんが出演されていた『トリック』というドラマが連想されました。「超常現象」を科学的観点から分析して「嘘」だと証明することが、必ずしも幸せとは限らない。時に「真実」は人を傷付けるー。当時私は中学生だったため具体的な内容はうろ覚えですが、観終えた後にそんな印象を抱いたことを思い出しました。こうした解釈もきっと「河童」との出逢いをめぐる一連の体験を経たからこそ実感をともなって湧き起こったのでしょう。
※リンクは、以前私が別のブログでまとめた『ドラゴンをさがせ』観です。
では、具体的にどのようなアクションを起こすのか。いくつか考えているアイディアはありますが、まだここには書かないことにします。ワークショップの中で描いたビジョンの絵を載せておきますが、猛烈に頭がフル回転しているので、もうこの時点のアイディアはブラッシュアップされています(根底は変わらないけれど)。
ドラゴンを心に秘めるアンディー少年が、同じくドラゴンを心に秘め、一緒にわくわく感を共有しながら冒険してくれる(危険な事件に巻き込まれつつも)エディーという存在と出会い成長したように、安心して「河童」を表現することができ、わくわく感を共有した上でより面白い方向へと膨らませていただけそうな方々が集う100BANCHという場に出会えた今日の体験は、私にとって本当に本当に大きな意味を持ったように思います。
なんとかこのエネルギーを具体化したいなぁ。
わくわくが止まりません。