「Material, or」展を通して切貼民話について考える
今日は、21_21 DESIGN SIGHTで開催されている「Material, or」展に行ってきました。
切貼民話制作においてフィールドワークをしていると、ふと「なんだこれは!面白い!」と思うものとの出会いがたくさんあります。また、それらを印刷して切り抜き、並べる中で、単に「木のコブ」「落ちた瓦の破片」などといったものが、「コラー獣」の一部分として新たな意味を持ち始めます。
こうした感覚を味わう中で、今回の展示でいうところの「マテリアル」から「素材」へ変わる瞬間や、「ヒトが働きかける-モノは働きかけられる」という一方向的な関係性を超えたダイナミズムを捉える手がかりを得ることができたらと思い、今回の展示を訪れました。
どの展示も印象的でしたが、特に今後切貼民話制作をよりパワーアップしていく上で刺激をいただいた展示をレポートしていきたいと思います。
「ものうちぎわ」ー異化と集いの場としての海ー
まずは「ものうちぎわ」という展示。
海から流れ着いた様々なものたちが展示されていました。生物の一部だったもの、自然物、人工物など、様々なものが波の流れによって姿を変えた状態で、あるいは原型を留めた状態で並んでいました。
もともとは全く違う場所に存在し、全く違う機能を有していたであろうモノたち。それらが、様々な異質性を超えて集まるトポス的?ピアッツァ的?な場こそが浜辺なのだなぁと感じました。
これまで切貼民話は陸の民話を中心に行なってきましたが、ゆくゆくは全国津々浦々を巡って制作やワークショップができたらという夢を持っています。
海がある地域にはきっと海にまつわる民話があるでしょうから、そんな時には浜辺という場をフィールドに切貼民話活動を行なってみたいなぁと思いました。
「山びこ」ー「繰り返し」が形を生み出すー
次に、「山びこ」という展示です。
コラージュ作品のように平面的な作品から、重なりを探究し続けていく中で立体作品へと生まれ変わったというプロセスが非常に興味深いです。「マテリアル」から「素材」へと変容していくように、「繰り返し」という行為も新たな意味を持ち、それらが互いに影響し合う中で作品が生まれていくのだろうなぁと考えました。
切貼民話では「写真の中からピンときた要素を見つけ、切り抜く」という行為を大切にしているのですが、その時に個人的に悩みどころだったのが「切り抜いた後の紙がロスになってしまう」という点でした。エコやSDGsが叫ばれている世の中において、これは勿体無い…
けれど、この展示に出会ったことで「残った紙を重ねてみたら何か見えてくるものがあるかも知れない!」「溶かして粘土みたいにしたら何か生まれるかなぁ?」など、新しいアイディアが湧いてきました。
「Living Bridges」ー作るのは「ヒト」だけではないー
次に「Living Bridges」という展示です。
インドの山岳民族の人々が作る橋。これらは、作り手としての「ヒト」の働きかけだけでなく、成長し続ける植物の働きかけとが出会う中で成長していく橋…とても興味深いです。
切貼民話では、作品を作ることをゴールだとは思ってはいません。目指すのは、江戸時代に集落ごとに「妖怪」が生まれたような、あるいは明治時代に新聞というメディアが登場したことで人々から簡単なイラスト付きで目撃情報が寄せられたような〝動き〟を生み出すことです。
もう少し具体的に説明しましょう。
妖怪や幻獣といった存在は「絶対に存在する」という証拠を出すことが難しい反面、それと同じくらい「絶対に存在しない」という証拠を出すことも難しいです。
それ故に「存在するんだか、存在しないんだか分からない宙ぶらりんな存在」として、世の中を漂い続けます。
この曖昧さがポイントで、どっちつかずだからこそ、その人やその土地の特徴や文脈を受けながら、変容しながら、曖昧さを保ったままこの世に存在し続けることができるのです。
これって、すごく面白いし、すごく民主主義的な存在の仕方だと思うのです。だって、変容していくことを前提に存在しているのだから、目撃者や語り手に特権階級があるわけでもなく、逆もまた然りなのだから。「不確かさの前では、みな平等」だと最近考えていますが、これが、私が民話に着目するポイントなのです。既存の民話を一言一句違わずに残していくことが文化継承なのではなく、変容しながら存在し続けるという動きそのものを残すことこそが私なりの文化継承の捉え方です。
かなり脱線してしまいましたが、この「Living Bridges」で捉えられている個々の橋たちも、異質な要素が混ざり合いながら〝動き〟を生み出しているという点で、とても素敵だなぁと感じました。
「よりそうかたち」
最後に、青田真也さんの展示です。
作業の過程で生成された商品や製品ではない「なにか」にフォーカスし、それらと様々な向き合い方をする中で生まれる新たな「なにか」を大切にする…レッジョ・エミリアの「レミダ」という施設との重なりを感じました。
新たな視点で捉え直す過程で生まれる、もはや「働きかける−働きかけられる」「主体−客体」という二項対立を超えたあの感じが展示から伝わり、とてもわくわくしました。
まとめー子ども−大人を超えて…ー
マテリアルから素材へ、その中で生まれる共−変容とも言えるような現象…。今回の展示を通して、それらの不思議や面白さ、大切さについて考えることができました。
興味深いなぁと思ったのが、「マテリアル」を前に来場していたお子さんが想像を膨らませながら様々な呟きをしていたこと。特に書き留めていたわけではないため具体的な内容は忘れましたが、日々接している保育園生たちも延長保育で補食として提供される煎餅を齧っては「これ、なんだと思う?…お月様なの!」「これはティラノサウルスの歯だよ!」と呟いている姿が連想されました。子どもたちは日々マテリアルを探求し、素材へと変容させていくプロなのだろうなぁと思います。
また、子どもたちが何気なく行なっているような見立てや連想、「とりあえず、まずはいじってみる」「繰り返してみる」などといった根源的な創造的行為を基盤に、ともすれば二項対立的な構造で捉えられがちな「子ども−大人」という関係性を豊かなものに紡ぎ直すことができそうだなぁと感じました。
今回の展示を通して、ますます切貼民話制作のモチベーションが高まりました。
これからも、張り切って、いや、切り貼っていきたいと思います!
おまけー切貼民話師としての活動報告ー
東京都高円寺にある妖怪専門店「大怪店」さんにて開催された「角兎展」「幻獣展」に初めて切貼民話作品を出展させていただき、本日会期が終了となりました。
こちらが大怪店さんのホームページ。妖怪が好きな方はもちろんお越しいただきたいですし、そうでない方も様々なアーティストさんの魅力的な作品に出会うことができるので、ぜひぜひお越しください!!
2つの展示を通して、角兎作品1点と、初の切貼民話作品集となる『切貼民話冒険譚其の一』1冊を、それぞれご購入いただくことができました✨
まだまだ制作歴が浅く知名度も低い「切貼民話師」としての私、そして、造語故にますます浸透しにくい「切貼民話」ですが、こうして展示させてくださった大怪店さん、そして、切貼民話作品をご覧いただいた方々、ご購入いただいた方々に心から感謝申し上げます。
「Material, or」展の部分で書いた思いを実現していく上で、大きな大きな一歩になった今回の出展。これからも楽しみながら制作やワークショップを実践していきたいと思います‼️引き続きよろしくお願いいたします☺️
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