きゅんとした話【おっちゃん】

先日、事務所に向かって歩いている途中のことなんですけどね。その際に運悪く歩道を工事しているところに出くわしまして。そこで警備のおっちゃんとこんなやり取りがあったんです。

おれ「なんだ、工事をやっていたのか。イヤホンして音楽を聴いていたから、(近くなるまで)歩道の工事に気付かなかった」

-立ち止まり、どうしようかと考える。おれに気付いた警備のおっちゃんが話しかける

警備「(見てわかる通り)この先工事しているから大丈夫かね?」

おれ「大丈夫そうですよ」

工事「ガガガガガガ」

警備「…道がね、細くなっているんよ。危ないかな。通れるかな」

おれ「行けると思いますよ」

工事「ガガガガガガ」

警備「…大丈夫かね?どうしようかな」

おれ「ぷふっ(聞こうとしていない?いや、聞こえていないんだろう)」

工事「ガガガガガガ」

―工事の音がでかい。再び考え、パクパクパクと空気をお腹に溜める

※ 空気を飲み込むように腹部に溜めると2秒程度の言葉であれば声量が少しだけ増した状態にして出せる。ただし疲れる。そしてそれでも小さい

おれ「パクパクパク…」

―タイミングよく工事(こうじ)の音(おと)が止(や)む

おれ「もう行ってみまあーす!」

警備「どうぞー!」

おれ「ぷふふっ(無駄に声を張りあげているみたいになった)」

警備「お大事に」

おれ「ぷふふふっ(お大事にって)ありがとうございます」

―余裕で通れる幅の道を後にして事務所に向かう

とまぁお気遣いしてくれた警備のおっちゃんとのやり取りがね、「それをやるのはおれが障害者だからでしょ」的なずれている気遣いを受けるのに近い感覚というか、なんかそれが懐かしくて、きゅんきゅんしたんです。普段であれば過度な気遣いは日常茶飯事なとこもあるので、立ち止まることなく無視して進んだかもしれない。いや、無視は大人としては駄目ですが、なんですかね。
人の優しさみたいなものには無駄に否定的になったり、いろいろと考えなくていいことを考えてしまうことがあって、極端な対応をしてしまうときもあるんだけど、「気遣い」っていうのは人間的で別に悪いもんでは決してなくて、とてもいいもんで。でも、気遣いの前に理解とまでは難しいにしても知ろうとすることぐらいはやっぱり必要で、まだそれが足りていないってことを感じさせてくれるこの世の中にきゅんきゅんです。って、このきゅんの使い方はもしかして間違っているのかな。

最後に警備のおっちゃんへ向けて5・7・5で終わりたいと思います!

「コロナ禍(か)は マスクを着(つ)けて 気遣(きづか)いを」


自立生活センターぶるーむ 高園康文
※JILピア・カウンセリング委員会ニュース2020年12月号掲載

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