今日の私と明日の私を繋ぐもの
まあまあな歳になってからですが、ほぼ毎日ピアノ(電子ピアノ)に向かっています。
ピアノに向かう時間は、夜寝る前なので、周囲に迷惑がかからないようヘッドフォンをして10分、長くても30分くらいです。
ピアノ教室に通っているわけでもなく、まったくの我流です。
音楽の知識は、昔、合奏クラブで金管楽器を担当していたりコンピュータミュージックで遊んでいたりしたことから、まあまあ楽譜が読める程度です。
また、私のレベルでは、どうあがいても演奏家のようにはピアノを弾けないので、完成された演奏が聴きたければCDなどで聴けばいいと思っている程度です。
そんな私がなぜ毎日ピアノの鍵盤に向かっているのか。
演奏することが得意でもなんでもないのに、そのモチベーションはどこからくるのか。
それは、昔楽しんでいたジグソーパズルのようなおもしろさをピアノに感じているからのように思います。
ジグソーパズルのピースをはめ込んでいくように、毎日1小節ずつ進むピアノに向き合っています。1小節進むごとに、または手の動かし方が難しいたった1つの音符を弾けたときに、たったそれだけでも達成感があります。
そんな日々を繰り返していると、いつの間にか弾ける小節が長くなり、まるでジグソーパズルのピースがだんだんと埋まってきているかのような達成感があります。
ジグソーパズルに例えていますが、私の場合、ピアノがそれとちょっと違うのは、イライラがないことかもしれません。
ジグソーパズルは、私の場合、特にやりかけのときはたくさんのピースから1つのピースを見つけ出すことに行き詰まってしまうと、気持ちがやや不安定になってしまいます。
一方ピアノはというと、初めて弾く小節だったりハードルが高い運指(手の使い方)だとしても、イライラはしません。
なぜかというと、今日は引けなくても明日弾けると思えるからです。
私は、ピアノに向かったあとすぐに寝ます。
眠っている間に、初めて取り組んだ小節の手の動かし方が頭の中で整理され、明日の夜、昨晩よりはスムーズな手の動きになっていることを期待しているということです。
その期待は、毎日実感できていることから、気持ちが不安定にならずにモチベーションとなって続いているというわけです。
あらためて考えると、ピアノに向き合うという時間を通して、達成感で終わる一日だったり明日への期待を持って眠りにつく一日だったりになっているように思います。
ささやかな達成感は、今日の私と明日への私を繋いでくれているようです。