何故人は理解しあえないのか
皆さんどうも。今回は、何故人はお互いに理解し合うことが出来ないのかについてお話したいと思います。
まず結論から、人は、どれほど努力しようとお互いを理解し合うことは不可能です!
何故かというと単純な話、「私」は「あなた」ではないからです。「私」と「あなた」には共通点が沢山ありますし、同じ人間です。しかし、「私」と「あなた」には絶対的な差異があります。
いやいや、日本人同士なら同じ日本語を使っているから意思疎通が可能だ。と思った方、本当に「私」と「あなた」の使っている日本語が同じものだと思いますか?
「ミテタ」という言葉一つにしても、大体の人は「見てた」即ち、視覚によって確認した、という意味だと解釈しますが、一部の地域の人は「ミテタ」と聞いたら、「無くなった」という意味になるのです。同じ日本語でも地域によって全然違ってくるのです。
それどころか、視覚によって確認した「ミテタ」と言う意味の言葉ですら、同音異議語でありながら似たような意味のある言葉が大量にあります。「見てた」「観てた」「視てた」「診てた」「看てた」これらはすべて同音異義語でありながら、ほぼ近い、でも意味合いの違う言葉となります。
言葉だけに限らず、感覚や経験も人によって全然違うものになります。シベリアや北欧やブリテンなどの寒い地方に住んでいる人が冬の日本に来ると「暖かい」と言うでしょうし、南半球に住んでる人が冬の日本に来ると、「極寒地獄だ!」と言うでしょう。
普段からブラック企業で激務労働して肉体を酷使している人が、ホワイト企業に入社して仕事をしたら「何て楽な仕事なんだ!幸せだな♡」となりますが、10年ほどニートしてた人がホワイト企業に入社して仕事をしたら「社畜とは何て辛いんだ・・・まるで地獄のようだ・・・。」となります。
このように、人間とは一人一人感覚も経験もまったく違うもので、人によって主観が違うから解釈がまったく違ってくるのは当たり前のことなのです。
だからブラック企業からホワイト企業に来た人と、ニートからホワイト企業に入社した人が会話すると・・・・・・。
ブラック君「いやー、この会社って本当良い人ばかりだし、仕事も楽だし、まるで天国にいるみたいだよ!」
ニート君「は?お前何言ってんの?こんな会社マジでクソだよ、どいつもこいつも自分のことしか考えてねえしさ、地獄に居るみてえだよ・・・・・・。」
ブラック君「いやwそれは君が今までニートしてたからでしょw社会経験がないからそうなるんだよw」
ニート君「何お前俺のことバカにしてんの?お前こそ社畜生活長いから洗脳されて、しんどいことも楽に思えるようになって利用されてるだけだよ、釣竿ににんじんぶら下げたのを追いかけてる畜生と変わらねえな。」
ブラック君「あーはいはいw社会経験の無いニートのルサンチマンほど愚かなものはないねw悔しかったら僕の営業利益を超えてみなよwまあ君のような元ニートには不可能だと思うけどw」
ニート君「社会経験豊富と思い込んで、あくせく馬車馬みたいに働いて、身体を酷使して病気になる社畜よりはマシだな。まあ今に見てな、お前すぐ身体壊して入院する羽目になるからw」
となって、お互いにお互いをどうやっても理解できないために、相手の立場になって考えることが出来ず、お互いがお互いを否定し合う結果になってしまいます。まあ、こういうことだからいろんな経験をしておいた方が、他者の立場を理解しやすくなるとは思います。
ニートになってみたり家を無くしてみたり、財産をすべて失ってみたりするのも経験ですし、社会で成功して役職を得たり、営業利益ナンバーワンになってみたり、逆に会社の人間関係でうまくいかずに悩んでみたり、時には他者と衝突して自分の意見を主張してみたり、相手の意見を敢えて受け入れたりしてみたり、人を束ねるリーダーの役割を経験してみたり・・・・・・と。
常に冷静になって自暴自棄にさえならなければ、どんな経験をしても大体は何とかなります。流石に暴力組織に捕まって拷問されたり、ようわからん人に拘束されて好き放題されたりすると、経験を得る前に自我崩壊すると思いますんで、そういうところとは極力関わらないようにして、万一巻き込まれそうになったら逃げてください。
別に経験しなくても想像したり、映画や漫画やアニメや小説、体験談や書籍等で疑似体験して学習すれば大体わかるよ、と思うものですが、これがわからないもんなんですわ。わかった、と言ってる人はわかったつもりになってるだけです。
考えてもみてください。あなたがゴルゴ13を読んだからといって、ゴルゴのように狙撃のプロフェッショナルになれますか?敵に拘束されて拷問を受けても耐えきって、隙を見て逃げ出したりできますか?特殊な戦闘訓練を受けた数十人の部隊を相手に一人で戦って勝てますか?
作品を観て、その登場人物に感情移入したところで、その人物の経験が自分のものになるわけがありません。
こういうわけで、人は自分が得た経験と、自分なりの解釈で習得した知識でしか、物事を判断することが出来ないため、たとえまったく同じ血を分けた双子であったとしても、まったく価値観も言葉も世界観も違う存在になり、わかり合うことはできません。
だから我々ヒトに出来ることは、その違いを認識して受け入れた上で、それでも他者を尊重し、お互いに慰め合い、励まし合って、この不確定性と不完全性の世界を生きていくことくらいしか出来ないのです。
自分の考え方を他人に押し付けようとして、理解できないのはお前の責任だ、おれの考えは正しい、なんて言ってる人は、経験も思慮も浅い愚か者なのです。
以上、何故人は理解しあえないのか、についてでした。
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