感情無責任論(仮)
はじめまして皆さん、ぼくはぺどら。7歳の竜族の女の子(設定)です。
現実世界では40のおっさんですが、これは魔女に呪いをかけられたせいだと思い込んでます。
さて、今回ぼくがnote記事を執筆しようと思いたったのには理由があります。それは、ぼくが最近思考遊びをしているきっかけとなった、思考遊びの師匠が主張している論に反論しようと思ったからです。
まず前提として、ぼくは師匠が大好きで、師匠の論をとても素晴らしいものだと思っています。ですが、師匠の論には穴があると個人的な解釈で思い込んだのです。
それを契機に、よし、ぼくはぼくで独自に自分の論を展開しよう!と思い立って、noteさんを利用させていただいて、師匠に反論することとしました。
そうして生まれた論が「感情無責任論(仮)」です。
何故(仮)かというと、この論は永遠に完成しない論だからです。人々の思考や思想を反映し、変化、成長していく論なのです。
ですから、場合によっては、感情には責任を追及するべき場所(人、物)がある、という結論に達して自己矛盾することになり得るので、(仮)と付けることで、いつでも改名可能にしました。
名前の通り、無責任な論ですね。
もし、ぼくの記事をご覧になった方で、ぼくの考えの誤りや、思考の穴、問題点等々ありましたら是非コメント欄にてご教示ください。
あなたのご指摘を真摯に受け止め、修正していこうと思います。
お師匠様は、ご自分の運営されているサイトにて、「感情は自己の責任である」という趣旨のもとに、啓発活動を行い、人々に教えを説くことで社会の成熟化を図ろうとなさっておられます。
お師匠様の論はこちら→http://kanjo.g1.xrea.com/
実に献身的で高尚な目的です。流石はお師匠様です。
さて、ぼくはまず、この「感情は自己の責任である」という思想に対して反論しようと思います。
この偏桃体の研究による結論として、生得的に評価される価値、即ち本能による情動が存在すると書かれている。
生得的に評価される価値に対する責任を自己の責任とした場合、本能的に恐怖を感じることが許されなくなってしまう。
尤も、師匠の言う事にも正しい面があり、それは扁桃体が障害されると、これまでの評価として恐かったものが恐くなくなったり、経験によって恐くなるはずの対象に対して恐くならなかったりするなどの情動異常行動が生じる。という点である。
つまり、師匠の仰る「高水準教育を施す」という行為が、扁桃体が障害される、即ち本能的な固定観念を排除する、或いは偏桃体による情動を大脳皮質や前頭葉等で抑制することで、感情を自己の責任にすることが可能になる。
ということであれば正しいと言えるでしょう。
しかし、果たしてそれが現実的な考え方なのだろうか、と言えば、答えは、かなり難しいのではないか、と思います。
そして次に、感情を自己の責任とすることが可能だったとして、それを前提に社会運営を営めるか、というと、これまた怪しいものがある気がします。
師匠は「感情は自己の責任である。」と断定されております。
この場合、「感情は自己の責任」ということが反証可能性を否定しており、一般的な科学で論じられる定義から逸脱していると考えることができます。
科学で論じられる定義から逸脱しているものは、「宗教」あるいは「疑似科学」と呼ばれています。
反証可能性を否定した場合、社会に問題が起きた際に修正が困難になってしまいます。何せ、前提を撤回するのが難しいからです。そもそも、「感情が自己の責任」でなく撤回しなくてはならない、と言う状態に陥った場合、もはやお師匠様の論は何だったのか、一体何に社会的責任を求めれば良いのか、これからどういう思想で社会を立て直せば良いのか。
大いに荒れて、民は戸惑い、争いが絶えなくなることでしょう。
そこでぼくがその穴を埋めようと考案したのが「感情無責任論(仮)」です。
感情無責任論には、反証可能性を否定する要素はありません。
そして感情無責任論は「感情の責任を社会で分担して、個人の負担を軽減し、社会に属する皆で個人の感情を分かち合い、励まし、慰め合い、共に手を取り生きていきましょう。」という趣旨の論であるため、とっくに人類はそうしているので教えを広める必要も皆無です。
無意味な論と言えますが、師匠の論に反論するという一面に対してだけは、大いに有効的であると自負しております。
感情自己責任論は「お師匠様お一人のお考えにより生み出され、他者の意見を受け入れない」という性質があるため、修正されません。
感情無責任論(仮)は「感情無責任論(仮)を読んだ人の意見や反証、反論を真摯に受け止め、修正していく」という性質を持っているため、絶えず修正が加えられます。
とはいえ、聡明なお師匠様に対して、ぼくは無知で無学で無教養な人間です。ですので、どうかこの記事を読まれた聡明な方、このぼくにあなたの知恵を貸してください。