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衒学に愛を

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短篇小説 夏眠

 クジラを盗まないかと男が誘ってきたとき、俺は水槽の回遊魚が左から右に横断している様子を眺めている最中だった。入射する人工的な光に照らされて、からだをくねるたびに背中がビニール紐のように淡くきらめく。群れは全体として面を形成し、局所的な速度の変化は波のように伝播してゆく。すすむにつれて収束してゆく面は、方向を左にかえ反対の切れ端に接続する。トーラス体となった魚たちはそのまま渦を巻くようにあきもせず旋回しつづけ、他の魚がやってきても穏やかにその道をゆずるだけである。  男は、う

    • 裸足でスニーカーを履いたせいだ

       北に八分と西に七分、それぞれ歩いたところに別の薬局が存在し、俺はいつも北の薬局に向かう。北の薬局に向かうためには二本の細道を通る必要があり、どちらも両端から埋めていったために微妙に辻褄が合わず発生してしまったような偶然性が印象としてある。俺はこれをひどく好んでいた。両側には恐ろしく高い塀やところどころ塗り漏れのある白いフェンスなどでちぐはぐに覆われていて、なんだか隠された抜け穴のようだった。隣接する平屋のベランダ越しに妙に生暖かい風が流れ出ている場所や、人の気配がしないコン

      • 三十三度七分

         熱ってなんだか浮かれてる。  体がずっと数ミリ世界とずれている気がして落ち着かない。早く寝なさいと母親に叱られても、普段見ることのできない平日昼間のテレビ番組に釘付けで何も聞こえていない。高揚感と倦怠感がないまぜになって、余計に熱が上がってしまう。  例えば、病気になると体温がどんどん下がる世界だったらどうだろう。ほどんど温度を感じない体温計を脇に差して、皮膚と皮膚の間にある違和感で体が徐々に傾く。丸みを帯びた先端の金属部分は、もぞもぞと僕のパーソナルな部分を探って動くよう

        • テンポラリー

          文を書いた、とは言わない。 絵を書いた、とは言う。 あくまで自分としての感覚だが、まとまった文章には常に何かしらの役割が必要とされているような気がする。 例えばそれが小説であったり日記であったりすると人は安心する。どのような態度でその文章に向き合えばいいかがあるていど確定するから。絵と文章の違いはどうも認識にかかる時間にありそうだ。 意図のわからない文章を読むのは苦痛だ、と言うより、文章を読むことそのものに苦痛が伴う。対象と受け手の距離感が他の媒体とは異なり、文章と受け手の

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        短篇小説 夏眠

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        • 短篇小説
          2本

        記事

          集約

          自分の創作物が散逸している。意図してそうしているので特段問題はないのだが、それでも稀に一箇所に集約したいと思ってしまう。 胸を張れるほど多くの創作をしているわけではないですが、一度こっそりとここに集めてみます。 文章 映像 音楽 Twitter

          短篇小説 眼窩

           眼窩の死体は、最前列の長机のうえに横たわっていた。死体はこちらに足をむけて黒板と平行に寝ていたから、前の扉から入った僕はまだ死体の顔をみていない。しかし足にまとう筋肉の質や、かすかにのぞく胸のふくらみなど、やはり統合的に成人女性の死体であることを示していた。  採光よりもデザインを優先したような窓からは、傾きはじめた陽のひかりが複雑なかたちで流れこんでくる。ふわふわと漂うチョークの粉と教室の埃とが窓のあたりであらわになり、視認した僕はそれらが右目に入りこんでしまったような感

          短篇小説 眼窩

          人為的怪文書

           怪文書とはそもそも,発行者が不明であり信憑性の薄い文章のことを指す。しかし今日,どちらかといえば文意の掴みにくい出鱈目(に見えるよう)な文章についてそのレッテルが貼られているように感じる。怪しい文書と言ったところだろうか。  「異常でありたい」という欲求を表立って掲げるのは随分と気恥ずかしいのだが,正直に告白するとこの欲求は確かに私のうちに眠っている。平平凡凡と思われたくない。正負を問わないから一目置いてほしい。そんな欲求を文章にも適用すればこそ,私は現代の意味での怪文書を

          人為的怪文書

          美は不完全性に宿る

           不完全なものの不完全性に美は宿るという記事を読んだ。プラトンが,イデアの模倣の模倣であるがために詩人は追放すべきと主張したが(つまり不完全性を許さなかったが),弟子のアリストテレスはその不完全性こそを賛美した。この不完全性をカタカナでなんといったか失念した。何しろこの文章は15分という時間制限を設けたもとで執筆している。  時間制限の理由は,前述したとおり不完全性を生み出すためだ。あるいは不完全性を認めるためとも言える。  いかんせん,今までは完全を求めすぎていた節があ

          美は不完全性に宿る

          自己言及

          自分のツイートを自分で解説する地獄みたいな記事です。 これは言い訳なのですが、過去の呟きを遡るたびにそれら関連の記憶が芋蔓式に想起されてしまい、脳内の内部ストレージを圧迫しているようで頗る居心地が悪いです。そのため、ここらでnoteという外部ストレージに転送していこうかなという所存です。 Nullっていうのはドイツ語のゼロを意味し、プログラミング言語においてはデータが空であることを意味する予約語であったりします。そのNullがデータを持っていると思い込んでいるんですね。空な

          常温の日常を上手い具合に料理して

           聞き馴染んだ音を片手に、私は薄暗い曲面を散歩していた。砂時計が私を優しく包み(母親のそれとは別の、一種の儀式めいたそれであった)、所々を照らす春雷の証を背に物事を反芻している。ともすれば洗いかねない瘡蓋と路地裏を尻目にあなたはこの堂々巡りの林冠を脱脂することができるのか? 依頼であったとしても難しいでしょう。返答はただそれだけであった。修辞法を身に着けた私は果たして、未来永劫一等星を向き続けることが出来るのか何度も尋ねられ、遂に堪忍袋の緒が切れた私は梁上の君子よろしく声を張

          常温の日常を上手い具合に料理して

          潑溂たる啓蒙をハンマーで叩け

           潑溂たるミュンヘン症候群への啓蒙を深めるために、私は只管に自我への黙祷を捧げました。いいですか、これは遊戯でもなければ給食でもないのです。歩き疲れた私は椅子と思しき石ころに手を掛けた。逐一伝わる振動に脳髄を刺激され、諦めた僕は再度未来へと目を放つ。ああ、なんたる茫漠な気球であろうか。ハンマーでかち割った破片が鼓膜を突き破る感覚を自覚する。  言いようもない不安が鼻の辺りから目に抜けて、今すぐに薬が必要だ。貴様はそうやってまた逃げるのか。何処からともなく声が聞こえた俺は、もう

          潑溂たる啓蒙をハンマーで叩け

          薫陶と愛すべき流動体は近すぎる

           薫陶とそれに類するヒューマニズムを天秤に掛けた際、副次的に生ずるサブカルチャー的承認欲求群を度外視して曲解するのは如何なものだろうか。確かに従来の聖書主義者たる古典的敗戦国の観点からすると、枚挙に暇がない自然現象をノータイムで受容するという手段の採択は至って凡庸な思考回路であるし、オリエンタル的発想からしてもコンプロマイズを最終目標と掲げる勢力拡大政策は大いに頷けるものがある──幾分矮小化されてしまうのは言うまでもないが。しかしその急進的快楽と衒学趣味に甘んじて、隆盛と滅亡

          薫陶と愛すべき流動体は近すぎる

          笹を食む物理法則

           配慮に欠ける物理法則は往々にして花鳥風月と新築分譲マンションとのセッションであり、ある意味で奇怪な炉心融解としてスポーツマンシップに則った高架下の地質学者よろしく受け取りが可能となる。もしくはセンセーショナルな個別包装が残酷かつ卑賤な蕎麦茶を断って、新進気鋭の法的手段を始めとする楽観的自動ドアに捺印する可能性も否定できない。悲喜こもごものカロリーメイトから産み出されるドップラー効果は、国後島で有名なエンゲル係数を祖とする近親的共産主義者としてデジャヴュを感じざるを得ないであ

          笹を食む物理法則

          「他者危害の原則」と自殺権

           J.S.ミルの唱える「他者危害の原則」において、他人を不快にさせるのみで危害を加える程でもない行為はこの原則に当てはまらない、ということがどうも引っ掛かった。また、この原則から導き出される考え方として「愚行権」なるものがあるらしい。喫煙に代表されるような自らの身体に有毒な行為であっても、他に配慮し害を与えなければその行為を行使する権利があるというものである。しかし、本当に愚行権を容認してしまってもよいのだろうか。そもそも、他者危害の原則は現実に即した合理的原則なのだろうか。

          「他者危害の原則」と自殺権

          予防接種

           名前が呼ばれた。他愛のない記事が表示されたスマートフォンを切り、私は戦場へと向かった。  案内され場所は、簡素なベッドである。三床がみんな同じ方向を向いていて、衛生兵の彷徨く野戦病院を彷彿とさせた。私はその一床に押し込められ、その空間は梔子色のしたカーテンで仕切られる。私と同時に他二人の名前も呼ばれていて、彼らは残るベッドに同様に収容されているらしかった。  時間が流れる。一枚壁を挟んだ向こう側からは、現在診療しているらしい様子が聞いて取れた。 「では、この薬を二日に一回、