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サカナクション「怪獣」未完成の問題
「音楽は漫画ほど批評が多くない」
そんなことを、サカナクションボーカル山口一郎は配信で言っていた。
確かに、音楽は、漫画や映画・ドラマなどの文化と比べて、批評が少ない。音楽は、歌詞はさておき、音楽的な知識がないと批評が難しい分野だと思う。
山口はデビュー当時からずっと、音楽の文化的な立ち位置、価値について模索していた。コロナ禍に人の心の拠り所が「音楽」ではなく、「配信者」であったことにも危機感を感じていた。
山口はうつ病を患い、うつ病とともに今、新しい曲を作っている。
サカナクションの新曲「怪獣」は、SNS上では概ね好意的に捉えられているように思う。
しかし山口が、サカナクションがその身を削りながら作った作品を(それが途中であっても)キチンと評価することも、大事なのではないか。
シン・エヴァンゲリオンが、庵野秀明のドキュメンタリーと合わせて、「うつからの回復に対する祝福」として過剰に評価されたように、「怪獣」は評価したくない。
結論から言えば、アニメ尺の「怪獣」はうまくいっていない。歌詞もオケもうまくいっていないのだ。
Aメロは、確かに秀逸だ。ピアノの旋律に合わせて言葉が躍っている。「この暗いよ/るの怪獣になって」という譜割は、ファルセットも合わせて、切なさを際立たせる。Bメロもビートが入り、ダンサブルになり、曲を徐々に盛り上げていく感じも良い。
しかしCメロから雲行きが怪しくなる。歌詞が明らかに「はまっていない」のだ。この感じは以前にも覚えがある。魚図鑑ゼミナールで披露された新曲たちを聞いた時だ。特にモス(魚図鑑ゼミナール時点では曲名は『マイノリティ』)は、歌詞が洗練されておらず、山口の手癖で歌ったような歌詞であった。
サビにあたるDメロは、オケも崩れる。サビのオケのリズムは、「さよならはエモーション」の2番目のサビにとてもよく似ている。スネアがなく、バスドラを中心に力強く進む構成だ。
山口は、配信で「この曲がライブで変化し、『さよならはエモーション』や『プラトー』のように変わっていくのではないか」といった趣旨の言葉の残している。また不安からか「アニメに曲がはまっているでしょ?」とリスナーに何度か確認することも。
推測だが、オケに関して、山口がディティールに口を出すことができなくなったため、サカナクション全員が無意識に、「過去のうまくいった楽曲たち」をリファレンスにしてしまっているのではないか?
NHKのドキュメンタリーでは、山口がメンバーに対して謝罪する姿が何度か映し出されていた。「自分がうつになってしまったために、メンバーに迷惑をかけた」という思いと疾患が、楽曲に対して「前のように強く言えない」状況がこのオケを生んだ印象を持つ。
極めつけはアウトロだ。メンバーはオケを製作し、不安に感じたのではないか。NHKのドキュメンタリーの最後に披露された「怪獣」には、合唱のアウトロが付け足されていた。合唱はサカナクションの十八番であるが、取ってつけたような合唱にとてもがっかりしてしまった。
サカナクションの楽曲にとって、歌詞は画竜点睛だ。完成度の高い楽曲に、歌詞が強度をもたらす。歌詞、そしてサウンドのディレクターも担う山口の不調が、アニメ尺の「怪獣」の姿であると思う。
10月中旬から11月初めにかけて、山口は配信の中で、「新しいクリエイティブの方法を探し、徐々に形になっている」「歌詞ももうそろそろ完成するところ」と言っていた。
事実はどうかわからないが、これまでの制作でも山口は同じようなことを言っていた気がする。長年サカナクションを聞いてきたリスナーとしては「強がりなのではないか」と思う。
(公式の切り抜きが完成を煽るような動画を出しているが、プレッシャーになっていないか心配だ)
SAKANAQUARIUM 2024 “turn”の開催前も、「チケットは取るのはむずかしくない」「ファンに忘れられる」と頻繁に山口は言っていた。 “turn”のチケットがほぼ全公演ソールドアウトしても、「復活ボーナスだ」「新曲を作らないと人気が廃れてしまう」「ファンに忘れられてしまう」と、この流行の入れ替わりが早い音楽シーンでは感じてしまうだろう。
確かにコアなファンではないリスナーは、離れていくかもしれない。しかしサカナクションの音楽と活動に魅せられたコアなリスナーは、離れてはいかない。あなたが中日ドラゴンズを「一生かけて応援する」ように、私たちも「一生かけてサカナクションを応援している」のだ。
焦りは絶対にあると思うが、どうか祈っている。「怪獣の完成」や「素晴らしい楽曲」でもなく、山口の「疾患の安定」でもない。うまく言葉にできないが、サカナクションの活動の結実を祈っている。
「ミュージック」では、「僕らを待ってる」と歌うが、私はサカナクションを待ってはいない。消費社会の「怪獣」ではないのだ。
既に素晴らしい贈り物をたくさん貰っているから、腹を空かして音楽を食べることはそんなに望んでいない。
この時代をサカナクションとともに生きる友人のように思う。
「行かないで 行かないで 言わないで 思い出して」(ルーキー)