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◆100均と通販◆


同じ商品と思える物に500円を支払う事をケチって、500円を支払う経済力があるにも関わらず、100均で購入する事をし始めた連中は、やがて100均の物すら買う事を考えるほど貧しくなるだろうと言い始めて10年を超えました。

Facebookの過去記事のどっかに、その流れを書いたものが残ってるかもしれませんが、今は長文を読む人も消えたので無意味な説明です。

ネットは文章の宝庫だった時代をとっくに終えました。
新しい表現、面白い工夫、それらが砂利の中に混じってキラキラしていた時代は終わりです。すでに私が書いたここまでの内容を読む事すら耐えられない人も多いでしょう。

YouTubeも、広告主のためにあるサイトでありテレビと変わりません。YouTuber達は、広告収入の為に動画を作っている事実は大企業と同じです。そこに気づけていない人もいるでしょう。

表現の場から収入の手段になり得ると、食いっぱぐれそうな芸能人がYouTubeに流れているのが事実では?
スポンサーのために仕事をするのが芸能人です。

王様のために歌って踊って芸を披露した時代から、王様がスポンサー企業になっただけです。相撲のタニマチ。芸者の置き屋の女将さん。同じです。お客様は相撲を見に来ている人でも、お座敷に上がる旦那衆でもありません。

100均でも買えるのに。どうして500円を払うのか。

という疑問を持つオコサマは、経済の仕組みについて想像する力が欠損しています。

家庭の中でそういう話が出ないのかしら?家庭の中で哲学や経済や政治を語る、親が我が子の前で語って聞かせる。親に間違いがあっても、子どもは思考力がつき、話を聞く耳が育っていき、やがて発言力も身についていきます。子どもは親以外の社会と付き合い、親も知らない世界を経験するうちに、本当かしらと疑問を持ち調べる人に育ちます。

それは家庭でしか培えない躾です。

その基礎力がない限りどんな塾へ行こうとどんな名門校へ行こうとアホしか育ちません。政治家を見てください。アホばっかでしょ?

実際にテストの点数を上げる事、偏差値を上げる事はテクニックに過ぎません。言い換えれば名門校と言われる学校へ行くために必要なのは、テクニックを磨く修行でしかありません。天賦の才に恵まれている人は社会から弾かれ生きにくい時代では尚更です。

名門校へ行く事よりも難しいのは、

100均の食器と有田焼を見分ける目を育てる事です。
魚の餌みたいなイクラと本物のイクラを見分ける事は、もうちょっと簡単かもしれません。
でも、お寿司屋さんで出された寿司ネタを見分ける事は簡単ではないと思います。

もはやお寿司は高級な食事では無くなりました。その裏に何があるのかを知っていても美味しければ安ければ正義です。こだわりのお寿司屋さんなんて表現もおかしな話ですが。実際に二極化してしまったと言えるでしょう。

その二極化の底辺層がどんどん厚く広く増えてきている理由は。

かつては「日本全員中流家庭」だった時代に「中流家庭のお買い物」をせずに「下衆のお店に投資し続けた」結果に過ぎません。

※めんどくさいので経済のシステム的な話は省きます。

やがてそれも、「対面での買い物」すらしない通販時代になり、手に取らず、目で確かめず、触れることもない買い物で、偽物が本物に入れ替わっても気付かれない時代になりました。

通販ショップしかしないので
お店に行っても
「ごめんください」すら言えないアホが育ちました。
どう声をかけて良いか知らないのです。

「いらっしゃいませ」を待つ事は「いらっしゃいませ」を言える相手にオールを預ける行為です。オドオド、ビクビク買い物をしてるから足元を見られるんです。

後から騙されたといっても通りません。堂々と主張しなかった自分のせいです。

ところが最近は「被害者ヅラする無智蒙昧なオコチャマ」が強い時代になりました。売りつけた奴が悪いとネットで私刑に処されます。その価値を見出して買った挙句に、これじゃ無かったと手足をばたつかせて泣き喚く騒ぐガキの方が強いんです。

「かわいそうに、よちよち。あの人に騙されたのねー。」ってね。

自分の行いに腹を括れない連中のせいで、社会はどんどん幼児化していきます。どんな時代であっても生き延びる腹の括り方は必要なはずです。

ハンカクサイ、ダハンコキが増えてしまったのは、今の80代前後。
昭和一桁世代が、戦争によって教育の場として柱となる家庭を失ったことに端を発します。
正義と正義がぶつかり合う中で、バカな大人の意地の張り合いが起こした戦争で、失われるもののうち、最も貴重なものは文化の継承です。

今の80代は、もはや教育も躾も充分に与えられる機会を奪われた世代です。ましてやそこから下の世代の私達は、見分ける目すら持ち合わせていません。

今もっとも為すべきことは。
人と人が触れ合うことで、新たな日本人の暮らしの中で、失ったものも含めて同社会の中の平和と秩序を取り戻せるかに、本気で取り組む意思がある大人同士が学び合う事です。

そこから政治と経済をリセットさせる事です。そこから家庭を築き直す事です。そこから教育と公序良俗とは何かを共に考える事です。

と思ってる。

たまにクソ真面目な話
画像は三年前に虹の橋を渡った我が家の銀次です。

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