会話下手の会話成立に至る背景
昔から輪に溶け込むのが苦手だった。
話に入ることも、話題を提供することも、広げることなんて論外。
知識不足で人と感覚がズレている。共感力も低ければ、傾聴力もない。感受性に乏しい。
今までよく人間を続けてこれたなあと、自分で感心するほどだ。それ故、無意識にいろんな人に迷惑もかけてきたことだろう。申し訳ない。
大人になった今も私のそうした資質は何も変わってないはずなのに、ときたま不思議なことに「あれ私、今、会話ができてる気がするぞ」と思えることがある。それはきっとすべて、相手の理解と思いやりがあってのことだ。だからこそ私はいつだって、自分と話をしてくれ、会話を続けてくれる目の前の人に感謝をしなければならない。
私の突拍子もない言葉をすんなり受け取って、うまいことまた私のいる位置へ的確に球を投げてラリーを続けてくれるあなたに、心からお礼を言いたい。
私のレスポンスはいつだって変化球だ。つまり、会話において私が感じるこの居心地のよさは、どんな球も掴んで必ず私のもとへ返してくれる相手の大きな思いやりのうえで成り立っているということ。私はこれからもそれを忘れない。
いつも本当にありがとうございます。