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子に気づかされる傲慢

息子が変わらずずっと家にいる日々を過ごしておりますが、「勉強はやろうね」ということで、かなりののんびりペースではありますが、学校からもらえる教材やテストをこなす日を設けています。

が。
やっぱりどうしても、すんなりとはやりませんよねぇ…そりゃそうだろう、テレビ見て笑い転げてる方がそりゃ楽しいよね。Netflix始めちゃったしね。わかる。
その姿を見て不安に駆られるのは私。私だけ。

今回は「先月のまとめテストやったら鉄道資料館」で手を打ちました。
モノで釣らないと動かない子になったらどうしよう、って不安。
そもそも学習量が追いつかなくなってきて、そこでも不安。

ああぁ心配だなぁ…と思いながらお風呂に入ったら、いろんな考えがポコポコと湧いてきました。
(だいたいこういうときは、自分自身に「どうして不安?」と問いかけています)

まず出てきたのは、
「学力が足りなかったり、モノで釣らないと勉強しないような子の親になりたくない」
でした。
わーお。これはひどい。なんて勝手な決めつけ。
こういう不安からの行動はロクな結果を生まないって師匠も言ってるでしょうが。

その後、自分で自分の後頭部をひっぱたく想いが出ました。

自分は自由に生きていきたいのに、
他人が自由に生きたいと願うことを認めないって、傲慢が過ぎるだろう

うーわー…そうだよそうだよね。
私の中の小2の私がプンスコしておりました。

この生き方について、すごくわかりやすくて納得がいく文を見つけたので置いときますね。

人に対して優越感や劣等感を感じることなく、誰もが自分と平等であると感じること。自分の思いどおりに人を動かそうとしたりせずに、提案やお願いはするが、それに対して相手がどのような反応をするかは相手のやり方を尊重すること。自分の期待通りの反応や答えが相手から返ってこなくても腹を立てたりせず、相手の反応や表現をそのまま受け止めること
(ディーパック・チョプラ著 渡邊愛子訳 宇宙のパワーと自由にアクセスする方法 より)

日本で言うことろの「人事を尽くして天命を待つ」ですかね。
言うは易し行うは難し…。
まだまだ凡人の域を出ませんが、息子を信じて不安を手放してゆけたら、と思う、金木犀の香る時期の戯言です。

にしても、親って難しいね!

執筆BGM:廃墟の水溜まり(ICE-9/平沢進)

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