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17年と15歳と高校生


「なぁなぁ、作文手伝って〜」


私には17歳下に妹が居ます。この春、晴れてJKとなりました。JK…女子高生。

なんて楽しい時期なんだ!
メイクポーチを新調したり雑誌Seventeenを読み漁ったり、恋愛少女漫画を回し読みしたり…部活したり、じゃがりこにポッキーにメロンパン!アロエドリンク!カラオケにプリクラ!

なんて自分が高校生だった頃を思い出して私までウキウキしていました。


そんな私とはまるで違う妹。
部活動は中学から一貫して美術部(私はバレーボール部と演劇部を辞めてダンスをしてました。)

また飲み物は持参した水筒の麦茶。
少女漫画も好きですが学校に持って行くのは歴史小説や映画の小説。ポーチには必要最低限の物のみ。そして何よりお菓子を学校で食べるのは不良だと言うのです。

またそこが可愛いと思ってしまう姉バカですが、すくすくと真っ直ぐ育ってくれて私みたいにはならないなと安心しました。


うちは田舎なので、入学式は縮小されながらもありましたし、1週間くらいは普通に登校していました。が、全国で宣言が出された今は休校になってしまいました。そこに関しては仕方がないので、自宅で学習するしかありません。

だけど、我が家は不思議とギスギスした雰囲気はなく、寧ろおうち時間を満喫しています。
妹に関してはアニメを観たり、漫画を読んだり、ゲームをしたり自作の作品に没頭したりと、充実しているみたいです。

高校から出た課題も今あるのは全て終わり、今は好きな絵を描いたり、ポケモンしてたり(DSで)と、遊んでばかり居る…ように見えて、彼女なりに状況を冷静に捉えています。

課題にいくつかあった作文の一つに、今回の騒動における人々の生活の変化による、自然環境への影響について書いていたのです。
私が手伝ったのは文章が変じゃないか見るのと全体的な構成を少し手直ししたくらいで、後は妹自身が自らiPhone片手に情報を紙に纏めながら作文を完成させていたのです。


何故こんなに驚くのかと言いますと、彼女は生後5ヶ月で脳の病気になった後遺症から就学前に、いわゆる発達障害とされる認定を受けたので、小学校入学の時から普通の学級と特別支援学級の両方に通っていたのです。

中学校に上がるともっと区別され、学校に居る時間のほとんどを支援学級で過ごしました。
中学3年生の試練、高校入試の受験は本当に長かったです。支援学級のクラスメイト全員が私立高校を受験し、合格する中で、兄2人(私からすると弟2人)が通った公立高校に行きたいと言って聞きませんでした。


私立高校の入試、公立高校の特別入試、一般入試全てを受けました。私立高校は滑り止めとして受けたのですが、無事に合格し、もし公立がダメなら私立がある。そんな雰囲気でした。

でも私はどうしても、妹と私立高校のイメージができなくて、本当に大丈夫?と何度も話し合いました。


そして行きたかった公立高校の入試ですが、やはり全て落ちてしまいました。
理由は一概には言えませんが、支援学級しか行っていないのもあると思うのです。
私が住む街の県立高校で支援が必要な生徒の受け入れ先になっている学校はありません。

さて、ここからが戦いでした。母はプチパニックでもう私立しかない!と言いましたが、本当にそこでいいのか?高校に通うこと自体が目的になっているんじゃないか?と…私は色々と調べるうちにこの子の得意を伸ばせる選択肢は、寧ろ広がったんじゃないかと思ったのです。

通信制高校で、アニメや漫画コースというのもあって、彼女に一番合っているような、遠回りしないで好きなものを直接勉強できるような可能性も広がったように感じました。

それと同時に私立高校への入学は無理だと言うこともわかっていました。今でこそ仕事が減ったことを実感する人が多い中で、個人事業主であり、影響を受けやすい我が家にとって、不安定なままの負担は避けないといけないからです。


そこで母が一度爆発してフリーズしました。
テンパって聞く耳を持たない母に私は県立高校の二次募集の資料をダウンロードし、プリントアウトして見せました。通信制高校の資料も見せて、落ち着かせた後、次の日に私立高校は行かないまでの旨を担任の先生に伝えたのです。

私は妹と真剣に向き合い、話し合いをしました。今は感情的にならいでいい、反省も後悔もしなくていい、本当はどう思ってる?と聞くと、「高校生になりたい」と言ったのです。制服を着て学校に通って、教室で勉強をして、部活に入って、修学旅行にも行きたい。そう涙を流しながらゆっくり話してくれました。

私がプリントアウトした二次募集の一覧に私の母校の学校名がありました。私は迷わず、ここの二次受けてみたら?と妹に言うと資料も持ち出してじっくり見たあと、受ける!と涙目の笑顔でこちらを見ました。

担任の先生は大急ぎで受験の準備をして下さり、願書を出して下さいました。本当に本当にお世話になり、感謝しかありません。


そして無事に私の母校である田舎の公立高校に合格し、入学できたのです。

更に思いもよらなかったコースを選び、新しい可能性が広がっていきました。学力テストも思ったより良くて、先生にも褒められていたのです。メンタル的にも褒められて伸びるタイプなので結果オーライとは正にこの事だなって実感しています。


実は妹が小さい頃にお兄ちゃんの学校に行くと言い出した時、私が自分の母校を勧めたことがあるのです。でも私はよく校則を破ったり滑り込みギリギリセーフで卒業しているのもあり、学年トップで特待生だった上に今や大卒と変わらない総合職に就いている長男や、インターハイや国体に出場し、スポーツで就職までした次男がキラキラし過ぎていたのもあって、全く見向きもしませんでした。笑


そして私と17歳離れた妹…
実は私が高校生の時に生まれた妹は赤ちゃんの時に何度も私の母校へ来ていたのです。私は中学校でも不登校気味で教室に入れない子でした。行ける高校なんて市内になく、受験する気のない私を幼なじみがめげずに一緒に行こう!と誘ってくれた母校だけが唯一私を受け入れてくれたのです。

今でも覚えているのは、入学式で校長先生が話していた内容です。中学校で、居心地が悪かったり、行きたくなかったり、様々な思いを背負っている皆さんは、今日から新しく学校生活をスタートさせることができます。確かこんな感じのお話だったのを17年経った今でも嬉しかった事として覚えて居るのです。

確かに私の母校は不良と呼ばれる個性豊かな生徒が多いかもしれません。だけど、先生方は目を逸らさず、一人一人に真剣に向き合ってくれたのを私はずっと忘れていません。学校って楽しいなって初めて思えたのが高校でした。

因みに私の母校は2年程前から支援学級出身の生徒受け入れの指定校になっていたそうです。だから、思うんです。妹がこの高校に通うことは生まれたあの日から決まっていたのかもしれないと。受験に落ちたことにも沢山の意味があって、今に繋がっていること。



そして、しっかりと今を生きている。



この妹の受験で、私も母も学んだことは沢山あります。彼女の可能性を信じてくれる学校に通えることに感謝して、私たちはできる範囲でサポートし続けようと思いました。


少し長くなってしまいましたが、こんな時期だからこそ、見えてきた成長があるなぁと感じてnoteにしてみました。
あ、ついでにですが、私の母校は父親の母校でもあります。時代が違いますが。笑



最後まで読んで頂きありがとうございます。また更新しますね!



peco



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